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2022年12月31日

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【田村勤】暗黒に一瞬輝いた妖刀

みなさん、こんにちは。

阪神タイガースに暗黒時代があったことをご存じですか? 2022年シーズンも開幕直後から負けが込んだとき、古いファンは暗黒時代の再来かと狼狽しました。でも最終的にはAクラスに残り、その心配も杞憂に終わりました。
暗黒時代に急に光が差したように見えたのが30年も前の1992年でした。亀山努が一軍デビューし、新庄剛志が最初の打席でプロ初本塁打を放つなどして鮮烈デビューを果たしました。その年、6月14日の広島戦では湯舟敏郎がノーヒットノーランを達成し、ノーコンと悪名高かった仲田幸司が自身初の2桁勝利となる14勝12敗、防御率2.53(リーグ3位)を記録して暗黒阪神は終わったかに見えました。ところが、阪神ファンには残念無念、野村克也監督が率い、古田敦也が大活躍するヤクルトに最後の最後で優勝をさらわれたのです。

田村勤(背番号36)は、1990年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから4位指名を受け入団しました。プロ1年目から中継ぎ・抑えとして活躍。一軍初登板は1991年4月16日対広島戦(広島市民球場)で初めの打者小早川毅彦に2ランホームランを打たれるホロ苦デビューでした。プロ1年目の田村勤は、最高球速が141km/hながらもストレートで狙って三振が取れる投手として、50試合に登板しました。一度マウンドに上がると叫びながら闘志を剥き出しにして投げ続けるのでした。

田村勤もまた、1992年シーズンの幕開けとともに変身を遂げていました。シーズオフに苦しいトレーニングを積んだ成果で球速を146キロまで上昇させ、阪神を暗黒の底から浮かび上がらせたのです。左のサイドスローからカミソリのような鋭さで投じた速球が浮き上がり、バットに空を切らせて、強打者を悔しがらせるシーンが暗黒塗れの阪神ファンを魅了しました。

「実際の球速表示より速く感じるストレート」と表現されることが多く、左サイドの変則投手ながらも、堂々たる速球投手でした。ストッパーに不可欠と呼ばれる「落ちる球」を持たず、ストレートとスライダーだけで勝負出できていたのは、アンダースローにも見える左サイドスローの、打者には見慣れぬ挙動のなせるワザだったのでしょう。

★参考映像:https://www.youtube.com/watch?v=ivVJuORUSC0

奇しくも1992年は、横浜大洋ホエールズの佐々木主浩(背番号22)が154km/hの豪速球と落差の大きい魔球フォークを駆使して先発から抑えに転向し、開幕から1年間ストッパーを努め初タイトルである最優秀救援投手に輝いた年でもありました。田村勤が鋭いカミソリなら、佐々木主浩は豪快に骨肉を斬る同田貫(どうたぬき)――子連れ狼の主人公にして元公儀介錯人の拝 一刀(おがみ いっとう)が振るった豪刀のごとし、で
した。

左サイドスローから速球を投げ込む田村勤の投球スタイルは、2002年暮れに暗黒から完全に抜け出す刹那の阪神に入団したジェフ・ウィリアムスを彷彿とさせるものでもあり、浮き上がる速球は藤川球児の登場を予言するかのようでした。そして、ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田 智之の3人からなるJFKを擁立した阪神タイガースは、2005年、岡田彰布新監督の第一次政権での優勝を成し遂げました。今年、第二次政権が始まったばかりですね。

しかし、時計を1990年代に巻き戻して思い起こせば、90年代は抑え投手のドラマがプロ野球界を彩りました。短命に終わった速球+スライダー投手としては、ヤクルトで活躍した伊藤智仁(背番号20)の記憶が田村勤よりむしろ鮮明かもしれません。魔球・高速スライダーで酷使した肘と肩が故障する悲劇性。まさに悲運のエースでしたね。

★参考映像:https://www.youtube.com/watch?v=c464zEtlb4Q

日本経済のバブルが崩壊した90年代、プロ野球では悲喜交交のドラマが繰り返されていました。

田村勤は、1992年の後半を怪我で棒に振りました。あの年、彼が最後まで健在なら阪神は7年ぶりの優勝を果たし、田村勤がMVPに輝いていたかもしれません。

阪神タイガース1985年優勝時の胴上げ投手である中西清起氏は、自身のYouTubeチャンネルで、田村勤のストレートは「わかっていても打てない球」だと特徴づけています。ただし、後に阪神入りした伝説的左サイドスロー、ジェフ・ウイリアムスと比べると腕の位置がアンダースローに近かったと言います。ただ、田村投手もウィリアムス投手も右打者にクロスファイアが食い込んでのけぞらせ、左打者には背中側から速球が入って来て幻惑させたと言います。

藤川投手とはオーバースローとサイドスローの違いが大きかったが、藤川投手同様、田村投手も浮き上がる球を投げていた、と。藤川投手の直球は中指でかけるスピンによる部分が大きいと言われますが、中西氏によると田村投手の浮き上がる球は、アンダースローの体勢から足腰、肘、肩をフル動員して球を浮き上がらせるものであったため、田村投手は故障に悩まされたのだと言います。田村投手は引退後、甲子園に近い西宮市内で接骨院を営んでいますが、1992年当時、今のように体幹トレーニングの知識と技術が発達していれば、田村投手はもっと長くやれたのではないか、と中西氏は言います。彼によると、田村投手は、球速より球威のピッチャーだった、と。足腰や上肢と肩を総動員して作られた球威だったからこそ、体幹の筋肉をもっと意識して駆使するべきだったのかもしれません。これは、前述の伊藤投手の場合にも、そっくり当てはまりそうですね。

古い野球熱血劇画の代表と言えば『巨人の星』ですが、その主人公、星飛雄馬も故障と復活を繰り返すことがストーリーの基調でした。大リーグボールを編み出しては花形満などの強敵に魔球を打ち破られ、飛雄馬は肩肘などの酷使から故障する。そして次なる大リーグボールとともに復活する。そんなお決まりのパターンに視聴者の青少年が熱狂し、いざ宿敵との試合が始まれば、1イニングに2時間も3時間もかかる、今では考えられないスローな進行にさえ何の違和感も覚えなかったんですよ。最後、大リーグボール3号が飛雄馬の左腕を完全に破壊しました。投手としては完全に再起不能の彼は、打者として再起するという続編が作られました。

今年、阪神を引退した糸井嘉男も、投手としてプロ入りし2年間頑張りましたが、芽が出なかったことから打者に転向し、大輪の花を咲かせました。前述の伊藤智仁投手は、選手として最晩年を迎えた2003年、肩の疲労が少ないナックルボーラーとて再起しようとました。速球も高速スライダーも捨て、ナックルボールだけを投じ、最速はわずか109 km/h。
1992年に阪神から優勝をさらった野村克也が7年後には阪神の監督となり、田村勤は遠山奬志とともに対松井秀喜、高橋由伸などの左打者のワンポイントとして起用されました。しかし、既に以前の球威はなく、2000年には由契約を言い渡され、オリックスに移籍しました。2002年の最終戦となった10月14日の日本ハム戦をもって現役引退。この試合で田村勤はプロでは最初で最後となる先発マウンドに立ち、先頭打者の森本稀哲を三振にとって降板し、プロ野球から去りました。

最後までご視聴いただきありがとうございました。
コメントを残してくれると、嬉しいです。
チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。
それでは、また。


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2021年10月04日

新カテゴリ「地震・噴火(予兆)」追加・拡大のお知らせ

2011年3月11日の東日本大震災から10年以上が経過した日本ですが、その後も、比較的大規模な地震がたびたび発生してきました。地震には前兆となる現象があると言われています。地下水の変化、気象現象、地鳴り、動物の異常行動などの現象や異変が含まれ、中国語の表現を借りて「宏観異常現象」と呼ばれています。

私は、主に宏観異常現象に的を絞ったFacebook上の非公開グループ(非公開と言えどもメンバー人口は1.7万人)に参加して、宏観異常現象に関する投稿を重ねてきました。しかし、Facebookには、過去の記事を検索しにくいなどの欠点があります。「似た現象が前にも起きていたはず」と思って過去記事をブラウズしようにも簡単には行きません。
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2021年07月20日

ブログで英文部分のワードラップを有効にするには、どうすればいい?|How do I enable English word wrap on my blog?

J: 英文では、単語が途中で分断されることのない改行処理、すなわちワードラップを施すのが普通ですが、Livedoorブログでワードラップを有効にするには、どうしたらいいのでしょうか? スタイルシートを編集する必要があるなら、頑張って取り組みます。どなたか詳しい方がおられたら、ご指導願います。

E: In English, it's normal to use line wrapping, which means that words aren't split in the middle, but how do you enable word wrapping on your Livedoor blog? If I have to edit the style sheet, I will do my best. If anyone is familiar with it, please give me guidance.

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2020年11月27日

言語脳が損傷しても不死身です(笑)

なんでも評点は長く更新できていませんが、実は私ミッキーは、2019年の春先に脳出血を患い、言語脳として機能していると言われる左脳に損傷を負いました。本業の翻訳業も再起不能を言い渡されたようですが、さすがにマトモに生きていない証拠か実は言語脳が右脳だったのでしょう、再起を果たしています。

しかし、コロナ禍で需要が減り、暇を持て余したこともあり、入院中から九月にかけては、アフリカ南部で過ごした若かりしころを題材にしたフィクションの執筆に時間をかけました。そちらの作品『逆転の回帰線』は、『第8回暮らしの小説大賞』への応募を済ませました。

現在は、『第28回電撃大賞 電撃小説大賞』への応募作『幼獣記』を執筆中です。応募要項を読むと、非営利の個人ブログで公開したまま応募してもよいと書いてあるようにも読めるのですが、ちょっと自信がないため、応募締め切り時期の21年三月ごろまで、こちらで執筆中のものを公開しようと思います。スマホから自己確認するのが主な目的です。私はまだ死んでなくて、こういう無駄な抵抗も続けているぞという含みも込めて(笑)。

思えば、「なんでも評点」が十年ちょっと前に書籍化され、初版は全部売れたようなのですが、なぜか絶版となった苦い経験があります。書籍が出版された数か月後から民主党が政権を取ったんですよね(苦笑)。

この次の記事で執筆中の純然たるフィクション(サイエンスフィクション)をこちらにアップします。


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2018年02月25日

当方作の電子書籍『脳内映画』がアマゾンで発売開始

当ブログは(これまで何度か復活の決意だけ表明したものの)相変わらずの休眠状態が続いている。この数年、以前に増して本業に追われていたわけでは決してない。一応、読み物風に味付けはしてあっても、世界の珍ニュースを“フェイクニュース”ではないノンフィクションとして伝える作業が辛くなって来たのが一番大きい。純然たるフィクションへの転換もずいぶん前から考えていたが、ブログという媒体はその用途に向かないと感じていた。

そんな中、アマゾンのKDP(Kindle ダイレクト・パブリッシング)など、電子書籍を簡単に発行できるサービスが充実してきた昨今。Kindleはアプリ版のユーザでしかなかったのだが、この2月の中旬にKDPに登録してみた。昨年から、KDPで電子出版し、メタデータに特定のキーワードを追加するだけで参加できるコンテストが開かれているという情報をWebで目にしていた。ほかにもあるのかもしれないが、『よしもと原作開発プロジェクト』というものだった。続きを読む

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2014年02月09日

試験的再開とコメント欄開放のお知らせ

ここ数年、休眠状態だった当ブログですが、試験的に更新を再開することにしました。また、コメント欄も試験的に開放することにしました。image
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2013年01月26日

コメント欄について

更新のないまま随分時間が過ぎてしまった。

そして更新がないにもかかわらず、当ブログのコメント欄は少し前から「ログインが必要」な設定になっている。

それまで毎日大量のスパムコメントが殺到していたのだ。多い日で300件ほど。いろいろ対策はした。Livedoorが用意しているNGワード機能などを使って。

でもイタチごっこに過ぎず、別のパターンのスパムがすぐにやってくる。

ともかくこういうわけで、当ブログはスパムでない通常のコメントも受け付けない設定になっていることを遅ればせながらお知らせしておきたい。

さて、ブログへのコメントのあり方についてはいろいろ思うところがある。

そもそもブログのコメント機能やトラックバック機能は、かつてTwitterもFacebookも存在せず、ブログが(今から見ると原始的あるいは性善説的な)ソーシャルネットワーク的役割を負わされていた時代の名残りに過ぎないのではないか、と私個人は感じている。

しかも、ブログ主は匿名だろうと実質的にブログ管理人という一意なアイデンティティを持っているのに対して、コメント者は何を書こうと完全に匿名でいられるというアンバランスさ。それがネガティブに働きがちで、誰のブログのコメント欄もふとした不用意な発言で炎上装置として発火するリスクが常につきまとっている。

2004年の開設以来、当ブログに寄せられてきたコメントの大多数は読者の方の率直な反応や感想や疑問だったと思う。ところが記事の内容が一部の人や特定の団体・組織の利害に触れている場合は様相が一変する。私があえてそういう当たり障りのある問題にツッコミを入れた場合もあれば、単に海外発の珍ニュースを紹介するだけで、いつもと様相の違うコメントが連続して寄せられたこともある。

最近では放射能関連の記事。さすがに来るだろうと思っていたら、やはり、いろいろ利害関係者らしいコメントが到来した。

意外だったのは、故障した旅客機を乗客の一人が修理したという海外の珍ニュースを紹介したときだった。どうやら、飛行機の整備に携わる人たちの一部の「琴線」に触れることを私が書き加えていたかららしい。

コメントの内容だけから何がわかるのかと訝る向きもあろうが、アクセス解析は発信元マシンのIPアドレスだけでなく、いろんな痕跡を抽出してくれる。どこから当ブログにアクセスしたのかもわかるし、コメント者のマシンに保存されているcookieの内容さえ抽出できる。コメント者が他のブログを管理している場合、どのブログかわかることさえある。

これから私に書けること、書くモチベーションが湧くことと言うと、もはや誰かの利害に触れたり反したりする可能性のある個人的意見しかない。だから、コメント欄の事実上の廃止はスパム対策だけでなく、面倒で憂鬱にもさせられる呪縛から逃れるためでもある。

ともかく、今度こそぼちぼち更新を再開するつもりだ。別に賛同も注目もされなくていいので好き勝手に。しかもおそらくモバイルからの投稿がメインになるので、緻密な構成で文を書くのはむずかしくなる。この記事がそれを物語っているように。








miccckey at 04:26|PermalinkComments(7)TrackBack(0)clip!

2012年09月04日

Facebookで「ハートウォーミング・ストーリーズ」始めました

Facebook内に「ハートウォーミング・ストーリーズ」(http://www.facebook.com/nandemohyoten)というページを試験的に立ち上げてみた。「なんでも評点」の膨大なアーカイブからハートウォーミングな話だけを厳選して取り上げていくという主旨。Facebookに参加していない人でも、普通のWebページと同様にアクセスできるので、よろしく。

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2011年02月16日

近況報告&ある有名企業の利用者を無視した決定に戸惑いを覚えつつ

2011年は結局新年の挨拶代わりの記事さえ書けぬまま、2月も半ばになってしまった。何をしていたのかというと、本業で殺到する仕事に追われていた。私らの業界はデフレの極みのようなもので、年々単価が落ちている。単価が低くても適応するには、とにかく量をこなさなければならない。
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miccckey at 03:13|PermalinkComments(108)TrackBack(0)clip!

2009年12月18日

人の死とブログの“死に体” ― 更新停滞のお詫びと今後の方向性について

私事を書くと、昨年の1月から病院暮らしが続いていた母の容態がいよいよ悪くなり、いつ病院から呼び出しがかかるかわからない日々が続いている。母はもう回復不能な損傷を脳に負っており、言葉を発することはおろか、呼びかけに答えることもない。永久に。続きを読む

miccckey at 01:55|PermalinkComments(29)TrackBack(0)clip!