(評)何を今さら度
2022年12月31日
【田村勤】暗黒に一瞬輝いた妖刀(version 2).docx
【田村勤】暗黒に一瞬輝いた妖刀
みなさん、こんにちは。
阪神タイガースに暗黒時代があったことをご存じですか? 2022年シーズンも開幕直後から負けが込んだとき、古いファンは暗黒時代の再来かと狼狽しました。でも最終的にはAクラスに残り、その心配も杞憂に終わりました。
暗黒時代に急に光が差したように見えたのが30年も前の1992年でした。亀山努が一軍デビューし、新庄剛志が最初の打席でプロ初本塁打を放つなどして鮮烈デビューを果たしました。その年、6月14日の広島戦では湯舟敏郎がノーヒットノーランを達成し、ノーコンと悪名高かった仲田幸司が自身初の2桁勝利となる14勝12敗、防御率2.53(リーグ3位)を記録して暗黒阪神は終わったかに見えました。ところが、阪神ファンには残念無念、野村克也監督が率い、古田敦也が大活躍するヤクルトに最後の最後で優勝をさらわれたのです。
田村勤(背番号36)は、1990年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから4位指名を受け入団しました。プロ1年目から中継ぎ・抑えとして活躍。一軍初登板は1991年4月16日対広島戦(広島市民球場)で初めの打者小早川毅彦に2ランホームランを打たれるホロ苦デビューでした。プロ1年目の田村勤は、最高球速が141km/hながらもストレートで狙って三振が取れる投手として、50試合に登板しました。一度マウンドに上がると叫びながら闘志を剥き出しにして投げ続けるのでした。
田村勤もまた、1992年シーズンの幕開けとともに変身を遂げていました。シーズオフに苦しいトレーニングを積んだ成果で球速を146キロまで上昇させ、阪神を暗黒の底から浮かび上がらせたのです。左のサイドスローからカミソリのような鋭さで投じた速球が浮き上がり、バットに空を切らせて、強打者を悔しがらせるシーンが暗黒塗れの阪神ファンを魅了しました。
「実際の球速表示より速く感じるストレート」と表現されることが多く、左サイドの変則投手ながらも、堂々たる速球投手でした。ストッパーに不可欠と呼ばれる「落ちる球」を持たず、ストレートとスライダーだけで勝負出できていたのは、アンダースローにも見える左サイドスローの、打者には見慣れぬ挙動のなせるワザだったのでしょう。
★参考映像:https://www.youtube.com/watch?v=ivVJuORUSC0
奇しくも1992年は、横浜大洋ホエールズの佐々木主浩(背番号22)が154km/hの豪速球と落差の大きい魔球フォークを駆使して先発から抑えに転向し、開幕から1年間ストッパーを努め初タイトルである最優秀救援投手に輝いた年でもありました。田村勤が鋭いカミソリなら、佐々木主浩は豪快に骨肉を斬る同田貫(どうたぬき)――子連れ狼の主人公にして元公儀介錯人の拝 一刀(おがみ いっとう)が振るった豪刀のごとし、で
した。
左サイドスローから速球を投げ込む田村勤の投球スタイルは、2002年暮れに暗黒から完全に抜け出す刹那の阪神に入団したジェフ・ウィリアムスを彷彿とさせるものでもあり、浮き上がる速球は藤川球児の登場を予言するかのようでした。そして、ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田 智之の3人からなるJFKを擁立した阪神タイガースは、2005年、岡田彰布新監督の第一次政権での優勝を成し遂げました。今年、第二次政権が始まったばかりですね。
しかし、時計を1990年代に巻き戻して思い起こせば、90年代は抑え投手のドラマがプロ野球界を彩りました。短命に終わった速球+スライダー投手としては、ヤクルトで活躍した伊藤智仁(背番号20)の記憶が田村勤よりむしろ鮮明かもしれません。魔球・高速スライダーで酷使した肘と肩が故障する悲劇性。まさに悲運のエースでしたね。
★参考映像:https://www.youtube.com/watch?v=c464zEtlb4Q
日本経済のバブルが崩壊した90年代、プロ野球では悲喜交交のドラマが繰り返されていました。
田村勤は、1992年の後半を怪我で棒に振りました。あの年、彼が最後まで健在なら阪神は7年ぶりの優勝を果たし、田村勤がMVPに輝いていたかもしれません。
阪神タイガース1985年優勝時の胴上げ投手である中西清起氏は、自身のYouTubeチャンネルで、田村勤のストレートは「わかっていても打てない球」だと特徴づけています。ただし、後に阪神入りした伝説的左サイドスロー、ジェフ・ウイリアムスと比べると腕の位置がアンダースローに近かったと言います。ただ、田村投手もウィリアムス投手も右打者にクロスファイアが食い込んでのけぞらせ、左打者には背中側から速球が入って来て幻惑させたと言います。
藤川投手とはオーバースローとサイドスローの違いが大きかったが、藤川投手同様、田村投手も浮き上がる球を投げていた、と。藤川投手の直球は中指でかけるスピンによる部分が大きいと言われますが、中西氏によると田村投手の浮き上がる球は、アンダースローの体勢から足腰、肘、肩をフル動員して球を浮き上がらせるものであったため、田村投手は故障に悩まされたのだと言います。田村投手は引退後、甲子園に近い西宮市内で接骨院を営んでいますが、1992年当時、今のように体幹トレーニングの知識と技術が発達していれば、田村投手はもっと長くやれたのではないか、と中西氏は言います。彼によると、田村投手は、球速より球威のピッチャーだった、と。足腰や上肢と肩を総動員して作られた球威だったからこそ、体幹の筋肉をもっと意識して駆使するべきだったのかもしれません。これは、前述の伊藤投手の場合にも、そっくり当てはまりそうですね。
古い野球熱血劇画の代表と言えば『巨人の星』ですが、その主人公、星飛雄馬も故障と復活を繰り返すことがストーリーの基調でした。大リーグボールを編み出しては花形満などの強敵に魔球を打ち破られ、飛雄馬は肩肘などの酷使から故障する。そして次なる大リーグボールとともに復活する。そんなお決まりのパターンに視聴者の青少年が熱狂し、いざ宿敵との試合が始まれば、1イニングに2時間も3時間もかかる、今では考えられないスローな進行にさえ何の違和感も覚えなかったんですよ。最後、大リーグボール3号が飛雄馬の左腕を完全に破壊しました。投手としては完全に再起不能の彼は、打者として再起するという続編が作られました。
今年、阪神を引退した糸井嘉男も、投手としてプロ入りし2年間頑張りましたが、芽が出なかったことから打者に転向し、大輪の花を咲かせました。前述の伊藤智仁投手は、選手として最晩年を迎えた2003年、肩の疲労が少ないナックルボーラーとて再起しようとました。速球も高速スライダーも捨て、ナックルボールだけを投じ、最速はわずか109 km/h。
1992年に阪神から優勝をさらった野村克也が7年後には阪神の監督となり、田村勤は遠山奬志とともに対松井秀喜、高橋由伸などの左打者のワンポイントとして起用されました。しかし、既に以前の球威はなく、2000年には由契約を言い渡され、オリックスに移籍しました。2002年の最終戦となった10月14日の日本ハム戦をもって現役引退。この試合で田村勤はプロでは最初で最後となる先発マウンドに立ち、先頭打者の森本稀哲を三振にとって降板し、プロ野球から去りました。
最後までご視聴いただきありがとうございました。
コメントを残してくれると、嬉しいです。
チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。
それでは、また。
みなさん、こんにちは。
阪神タイガースに暗黒時代があったことをご存じですか? 2022年シーズンも開幕直後から負けが込んだとき、古いファンは暗黒時代の再来かと狼狽しました。でも最終的にはAクラスに残り、その心配も杞憂に終わりました。
暗黒時代に急に光が差したように見えたのが30年も前の1992年でした。亀山努が一軍デビューし、新庄剛志が最初の打席でプロ初本塁打を放つなどして鮮烈デビューを果たしました。その年、6月14日の広島戦では湯舟敏郎がノーヒットノーランを達成し、ノーコンと悪名高かった仲田幸司が自身初の2桁勝利となる14勝12敗、防御率2.53(リーグ3位)を記録して暗黒阪神は終わったかに見えました。ところが、阪神ファンには残念無念、野村克也監督が率い、古田敦也が大活躍するヤクルトに最後の最後で優勝をさらわれたのです。
田村勤(背番号36)は、1990年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから4位指名を受け入団しました。プロ1年目から中継ぎ・抑えとして活躍。一軍初登板は1991年4月16日対広島戦(広島市民球場)で初めの打者小早川毅彦に2ランホームランを打たれるホロ苦デビューでした。プロ1年目の田村勤は、最高球速が141km/hながらもストレートで狙って三振が取れる投手として、50試合に登板しました。一度マウンドに上がると叫びながら闘志を剥き出しにして投げ続けるのでした。
田村勤もまた、1992年シーズンの幕開けとともに変身を遂げていました。シーズオフに苦しいトレーニングを積んだ成果で球速を146キロまで上昇させ、阪神を暗黒の底から浮かび上がらせたのです。左のサイドスローからカミソリのような鋭さで投じた速球が浮き上がり、バットに空を切らせて、強打者を悔しがらせるシーンが暗黒塗れの阪神ファンを魅了しました。
「実際の球速表示より速く感じるストレート」と表現されることが多く、左サイドの変則投手ながらも、堂々たる速球投手でした。ストッパーに不可欠と呼ばれる「落ちる球」を持たず、ストレートとスライダーだけで勝負出できていたのは、アンダースローにも見える左サイドスローの、打者には見慣れぬ挙動のなせるワザだったのでしょう。
★参考映像:https://www.youtube.com/watch?v=ivVJuORUSC0
奇しくも1992年は、横浜大洋ホエールズの佐々木主浩(背番号22)が154km/hの豪速球と落差の大きい魔球フォークを駆使して先発から抑えに転向し、開幕から1年間ストッパーを努め初タイトルである最優秀救援投手に輝いた年でもありました。田村勤が鋭いカミソリなら、佐々木主浩は豪快に骨肉を斬る同田貫(どうたぬき)――子連れ狼の主人公にして元公儀介錯人の拝 一刀(おがみ いっとう)が振るった豪刀のごとし、で
した。
左サイドスローから速球を投げ込む田村勤の投球スタイルは、2002年暮れに暗黒から完全に抜け出す刹那の阪神に入団したジェフ・ウィリアムスを彷彿とさせるものでもあり、浮き上がる速球は藤川球児の登場を予言するかのようでした。そして、ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田 智之の3人からなるJFKを擁立した阪神タイガースは、2005年、岡田彰布新監督の第一次政権での優勝を成し遂げました。今年、第二次政権が始まったばかりですね。
しかし、時計を1990年代に巻き戻して思い起こせば、90年代は抑え投手のドラマがプロ野球界を彩りました。短命に終わった速球+スライダー投手としては、ヤクルトで活躍した伊藤智仁(背番号20)の記憶が田村勤よりむしろ鮮明かもしれません。魔球・高速スライダーで酷使した肘と肩が故障する悲劇性。まさに悲運のエースでしたね。
★参考映像:https://www.youtube.com/watch?v=c464zEtlb4Q
日本経済のバブルが崩壊した90年代、プロ野球では悲喜交交のドラマが繰り返されていました。
田村勤は、1992年の後半を怪我で棒に振りました。あの年、彼が最後まで健在なら阪神は7年ぶりの優勝を果たし、田村勤がMVPに輝いていたかもしれません。
阪神タイガース1985年優勝時の胴上げ投手である中西清起氏は、自身のYouTubeチャンネルで、田村勤のストレートは「わかっていても打てない球」だと特徴づけています。ただし、後に阪神入りした伝説的左サイドスロー、ジェフ・ウイリアムスと比べると腕の位置がアンダースローに近かったと言います。ただ、田村投手もウィリアムス投手も右打者にクロスファイアが食い込んでのけぞらせ、左打者には背中側から速球が入って来て幻惑させたと言います。
藤川投手とはオーバースローとサイドスローの違いが大きかったが、藤川投手同様、田村投手も浮き上がる球を投げていた、と。藤川投手の直球は中指でかけるスピンによる部分が大きいと言われますが、中西氏によると田村投手の浮き上がる球は、アンダースローの体勢から足腰、肘、肩をフル動員して球を浮き上がらせるものであったため、田村投手は故障に悩まされたのだと言います。田村投手は引退後、甲子園に近い西宮市内で接骨院を営んでいますが、1992年当時、今のように体幹トレーニングの知識と技術が発達していれば、田村投手はもっと長くやれたのではないか、と中西氏は言います。彼によると、田村投手は、球速より球威のピッチャーだった、と。足腰や上肢と肩を総動員して作られた球威だったからこそ、体幹の筋肉をもっと意識して駆使するべきだったのかもしれません。これは、前述の伊藤投手の場合にも、そっくり当てはまりそうですね。
古い野球熱血劇画の代表と言えば『巨人の星』ですが、その主人公、星飛雄馬も故障と復活を繰り返すことがストーリーの基調でした。大リーグボールを編み出しては花形満などの強敵に魔球を打ち破られ、飛雄馬は肩肘などの酷使から故障する。そして次なる大リーグボールとともに復活する。そんなお決まりのパターンに視聴者の青少年が熱狂し、いざ宿敵との試合が始まれば、1イニングに2時間も3時間もかかる、今では考えられないスローな進行にさえ何の違和感も覚えなかったんですよ。最後、大リーグボール3号が飛雄馬の左腕を完全に破壊しました。投手としては完全に再起不能の彼は、打者として再起するという続編が作られました。
今年、阪神を引退した糸井嘉男も、投手としてプロ入りし2年間頑張りましたが、芽が出なかったことから打者に転向し、大輪の花を咲かせました。前述の伊藤智仁投手は、選手として最晩年を迎えた2003年、肩の疲労が少ないナックルボーラーとて再起しようとました。速球も高速スライダーも捨て、ナックルボールだけを投じ、最速はわずか109 km/h。
1992年に阪神から優勝をさらった野村克也が7年後には阪神の監督となり、田村勤は遠山奬志とともに対松井秀喜、高橋由伸などの左打者のワンポイントとして起用されました。しかし、既に以前の球威はなく、2000年には由契約を言い渡され、オリックスに移籍しました。2002年の最終戦となった10月14日の日本ハム戦をもって現役引退。この試合で田村勤はプロでは最初で最後となる先発マウンドに立ち、先頭打者の森本稀哲を三振にとって降板し、プロ野球から去りました。
最後までご視聴いただきありがとうございました。
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それでは、また。
2022年09月08日
大阪の高級和食店のレイプ事件はペッパーランチ事件と共通しているのか?
うどん県かと思えば東大出身の歌舞伎役者兼テレビドラマ/映画俳優のセクハラ事件絡みで、「事実に基づかない」想像のフィクションを1つ前に上げたわけだが、大阪のミシュランン一つ星和食店の店長が女性客に睡眠薬入りの酒を飲ませて暴行する事件が起きた。
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2022年07月18日
閲覧注意!石になった赤ちゃん(石児)の画像と映像
当ブログには、キーワード「石児」で検索して訪問する人がいまだにいる。石児とは、女性の体内で石灰化した胎児のことである。そのほとんどは、子宮外妊娠した赤ちゃんが死亡したことによる。胎児のサイズが小さければ体内に吸収されて消えるのだが、ある程度サイズが大きいと、生まれざる胎児が石灰化して石児(Lithopedion)となる。
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2022年07月10日
顔面が2つある女の子のその後を記録したドキュメンタリー発見
先日、「顔面が2つある赤ちゃん、どちらの口からも元気にミルクを飲む」で「現在のところ、この赤ちゃんに関する詳細情報はない」と書いたが、その後のリサーチで彼女がどうなったかを記録したドキュメンタリーを発見した。
女の子は、2つの顔面が見事に融合ている。だが、それぞれの表情には、シンクロしない突然性が散りばめられている。比較的大人に近い顔立ちが2つ重なっているかに見える。その容貌がヒンズー教の女神に似ているから―と人々が集まって来て「お布施」をしてくれる。
続きを読む
女の子は、2つの顔面が見事に融合ている。だが、それぞれの表情には、シンクロしない突然性が散りばめられている。比較的大人に近い顔立ちが2つ重なっているかに見える。その容貌がヒンズー教の女神に似ているから―と人々が集まって来て「お布施」をしてくれる。
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2021年09月14日
どうせ儲からないし、表現の自由を奪うWeb広告よ、さらば
Google Adsenseから次の文面(一部引用)のようなメールが来ました。
お客様
本日は Google サイト運営者様向けポリシー レポートをお送りいたします。お客様のウェブサイトの特定のページで見つかったポリシー違反に関連する最近のアクティビティをご確認ください。違反措置の適用状況は随時変更される可能性があります。現在適用されている違反については、AdSense ポリシーセンターの [ページ単位の違反措置] をご覧ください。
サイト全体またはアカウントのレベルで発生した違反については、このレポートに含まれませんのでご了承ください。サイトやアカウントのレベルで違反があった場合は、別途メールでお知らせすることがあります。ページ単位であれサイト単位であれ、ポリシー違反がなかった部分については広告掲載が続行されます。
過去 24 時間の情報:
新たな違反が検出されました。AdSense プログラム ポリシーへの違反が見つかったページでは、広告掲載が制限または停止されています。この問題を解決するには、違反しているコンテンツを削除して、審査をリクエストしていただくか、違反しているページから広告コードを削除する必要があります。
「違反しているページ」を特定する情報がどこにもなく、対処のしようがありません。Adsense広告は10年にわたる禁が解けたものの、ほとんど表示されていないことがわかっています。もう面倒なので、Adsenseコードをすべて削除しようと思います。
続きを読む
2017年09月08日
【北からのミサイル】インチキっぽくてもリスクがあれば全力で相手する西洋思考
大昔、アパルトヘイト最末期の南ア・ヨハネスブルクで真剣白刃取りを成功させたことがある。役所はもちろん、現地では宗教上の理由によりあらゆる商店が営業を休んでいる日曜の昼下がり、前方から刀蛮を持った暴漢が現れた。続きを読む
2014年02月18日
訪問者全体の65%がスマホからのアクセスだった ― 試験的再開に至った経緯とその後の所見
ブログを試験的に再開して10日ほどになるので、試験的再開に至るまでの経緯と再開後の所感を述べてみたい。実際のところ、2012年07月07日に最後の記事らしい記事を書いて以来、「なんでも評点」を顧みることはほとんどなかった。ネットの世界に大きな変化が起きていることに気付いてもいなかった。
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2013年01月26日
コメント欄について
更新のないまま随分時間が過ぎてしまった。
そして更新がないにもかかわらず、当ブログのコメント欄は少し前から「ログインが必要」な設定になっている。
それまで毎日大量のスパムコメントが殺到していたのだ。多い日で300件ほど。いろいろ対策はした。Livedoorが用意しているNGワード機能などを使って。
でもイタチごっこに過ぎず、別のパターンのスパムがすぐにやってくる。
ともかくこういうわけで、当ブログはスパムでない通常のコメントも受け付けない設定になっていることを遅ればせながらお知らせしておきたい。
さて、ブログへのコメントのあり方についてはいろいろ思うところがある。
そもそもブログのコメント機能やトラックバック機能は、かつてTwitterもFacebookも存在せず、ブログが(今から見ると原始的あるいは性善説的な)ソーシャルネットワーク的役割を負わされていた時代の名残りに過ぎないのではないか、と私個人は感じている。
しかも、ブログ主は匿名だろうと実質的にブログ管理人という一意なアイデンティティを持っているのに対して、コメント者は何を書こうと完全に匿名でいられるというアンバランスさ。それがネガティブに働きがちで、誰のブログのコメント欄もふとした不用意な発言で炎上装置として発火するリスクが常につきまとっている。
2004年の開設以来、当ブログに寄せられてきたコメントの大多数は読者の方の率直な反応や感想や疑問だったと思う。ところが記事の内容が一部の人や特定の団体・組織の利害に触れている場合は様相が一変する。私があえてそういう当たり障りのある問題にツッコミを入れた場合もあれば、単に海外発の珍ニュースを紹介するだけで、いつもと様相の違うコメントが連続して寄せられたこともある。
最近では放射能関連の記事。さすがに来るだろうと思っていたら、やはり、いろいろ利害関係者らしいコメントが到来した。
意外だったのは、故障した旅客機を乗客の一人が修理したという海外の珍ニュースを紹介したときだった。どうやら、飛行機の整備に携わる人たちの一部の「琴線」に触れることを私が書き加えていたかららしい。
コメントの内容だけから何がわかるのかと訝る向きもあろうが、アクセス解析は発信元マシンのIPアドレスだけでなく、いろんな痕跡を抽出してくれる。どこから当ブログにアクセスしたのかもわかるし、コメント者のマシンに保存されているcookieの内容さえ抽出できる。コメント者が他のブログを管理している場合、どのブログかわかることさえある。
これから私に書けること、書くモチベーションが湧くことと言うと、もはや誰かの利害に触れたり反したりする可能性のある個人的意見しかない。だから、コメント欄の事実上の廃止はスパム対策だけでなく、面倒で憂鬱にもさせられる呪縛から逃れるためでもある。
ともかく、今度こそぼちぼち更新を再開するつもりだ。別に賛同も注目もされなくていいので好き勝手に。しかもおそらくモバイルからの投稿がメインになるので、緻密な構成で文を書くのはむずかしくなる。この記事がそれを物語っているように。
そして更新がないにもかかわらず、当ブログのコメント欄は少し前から「ログインが必要」な設定になっている。
それまで毎日大量のスパムコメントが殺到していたのだ。多い日で300件ほど。いろいろ対策はした。Livedoorが用意しているNGワード機能などを使って。
でもイタチごっこに過ぎず、別のパターンのスパムがすぐにやってくる。
ともかくこういうわけで、当ブログはスパムでない通常のコメントも受け付けない設定になっていることを遅ればせながらお知らせしておきたい。
さて、ブログへのコメントのあり方についてはいろいろ思うところがある。
そもそもブログのコメント機能やトラックバック機能は、かつてTwitterもFacebookも存在せず、ブログが(今から見ると原始的あるいは性善説的な)ソーシャルネットワーク的役割を負わされていた時代の名残りに過ぎないのではないか、と私個人は感じている。
しかも、ブログ主は匿名だろうと実質的にブログ管理人という一意なアイデンティティを持っているのに対して、コメント者は何を書こうと完全に匿名でいられるというアンバランスさ。それがネガティブに働きがちで、誰のブログのコメント欄もふとした不用意な発言で炎上装置として発火するリスクが常につきまとっている。
2004年の開設以来、当ブログに寄せられてきたコメントの大多数は読者の方の率直な反応や感想や疑問だったと思う。ところが記事の内容が一部の人や特定の団体・組織の利害に触れている場合は様相が一変する。私があえてそういう当たり障りのある問題にツッコミを入れた場合もあれば、単に海外発の珍ニュースを紹介するだけで、いつもと様相の違うコメントが連続して寄せられたこともある。
最近では放射能関連の記事。さすがに来るだろうと思っていたら、やはり、いろいろ利害関係者らしいコメントが到来した。
意外だったのは、故障した旅客機を乗客の一人が修理したという海外の珍ニュースを紹介したときだった。どうやら、飛行機の整備に携わる人たちの一部の「琴線」に触れることを私が書き加えていたかららしい。
コメントの内容だけから何がわかるのかと訝る向きもあろうが、アクセス解析は発信元マシンのIPアドレスだけでなく、いろんな痕跡を抽出してくれる。どこから当ブログにアクセスしたのかもわかるし、コメント者のマシンに保存されているcookieの内容さえ抽出できる。コメント者が他のブログを管理している場合、どのブログかわかることさえある。
これから私に書けること、書くモチベーションが湧くことと言うと、もはや誰かの利害に触れたり反したりする可能性のある個人的意見しかない。だから、コメント欄の事実上の廃止はスパム対策だけでなく、面倒で憂鬱にもさせられる呪縛から逃れるためでもある。
ともかく、今度こそぼちぼち更新を再開するつもりだ。別に賛同も注目もされなくていいので好き勝手に。しかもおそらくモバイルからの投稿がメインになるので、緻密な構成で文を書くのはむずかしくなる。この記事がそれを物語っているように。
2012年09月04日
Facebookで「ハートウォーミング・ストーリーズ」始めました
Facebook内に「ハートウォーミング・ストーリーズ」(http://www.facebook.com/nandemohyoten)というページを試験的に立ち上げてみた。「なんでも評点」の膨大なアーカイブからハートウォーミングな話だけを厳選して取り上げていくという主旨。Facebookに参加していない人でも、普通のWebページと同様にアクセスできるので、よろしく。

Miccckey
1960年代生まれ。大阪在住。ハイテク、IT、メディカル関連など、お堅い分野のトランスレータ。ふと気がつけばキャリアは20年に迫ろうとしている。普段は制約の中で仕事をしていて、その反動でこのブログを始めたのだが、結局いろんな制約の中で記事を綴る日々。