2024年12月02日
3年にわたるリモートワークが先週終了した。コロナ禍から彷徨いこんだ世の中の仕組みではあったが、大いなる機会損失であったと思う。ブログに書く時間もできる…のか? ブログなんて旧世界のメディアですわ。この202x年代は、文字数が制限されていたり、ハイパーリンクを自由に使えないなど、意図的に制限をかけられている反面、誰にでも簡単に使えるSNSが花盛り。
下の記事は、翻訳の営業をかけるために、自分の書いた日本語記事を日英翻訳したサンプルである。ゆえに、日英併記となっている。AI翻訳が使い物にならなかった2018年まで私は、すべての日英・英日翻訳を人力で翻訳していたが、AIが普及した今は、文字単価の相場が以前の10分の1まで低下している。その低単価に対応するには、AIを使用せざるを得ない。
AI翻訳サービスとして人気の高いDeepLは使用していない。プロンプトから細かい指示ができ、チャット入力ボックスに入力したチャットの文脈に応じた翻訳を返してくれるChatGPTに翻訳させたものに適宜手を入れて英文を作成している。
通常の日英翻訳と大きく異なる点として、和文を作成するときに、狙いとする英文を頭の中で描いているので、AIにとっても訳しやすい原文となっているはずだ。英日翻訳では逐語訳を避けながら、翻訳調の文章を書くようにしている。このポリシーは200x年代の当ブログでも貫いていたポリシーである。具体的には、主語や目的語の省略を避ける。このため、「くどさ」が出てしまう。でも、主語と目的語を省略しなければ、人間にもAIにも誤読しにくい和文になる。日英翻訳の対象となる和文を書く場合は、これを心がけるべきである。
20年の付き合いがあった発注元からの依頼がコロナ禍以降ピタリと止まり、7年の付き合いがあった別の発注元が翻訳部門を廃止するなどして、仕事日照りが本格化した私が行きついたのが【クラウドワークス】だったが、今年の八月以降、翻訳者の募集が激減、ライターの仕事もAIの扱いが不明瞭で意欲が湧かない状況。冒頭に記したリモートワークの会社がアカウントを持っていたため個人では使用していなかった【ランサーズ】で活動を開始しようとしており、ランサーズには自分のスキルを売り込めるパッケージという機能があるので、下のサンプルはそのために用意した。
AI翻訳が普及する前はガチガチの直訳を出力するMT(機械翻訳)が一部(Microsoftサイトの使用説明など)で使われていたが、あまりに直訳がひどいので、後から訳文を修正するポストエディットと原文を前もって修正しておくプリエディットの2工程が必要となっていた。下のサンプルは、私が原文も書きますよという売込みではなく、AI翻訳版のプリエディットを致しますという売込みが狙いである。
日英翻訳を想定した和文をAI翻訳にかければ、かなり高精度な英文が出力される。
AI翻訳サービスとして人気の高いDeepLは使用していない。プロンプトから細かい指示ができ、チャット入力ボックスに入力したチャットの文脈に応じた翻訳を返してくれるChatGPTに翻訳させたものに適宜手を入れて英文を作成している。
通常の日英翻訳と大きく異なる点として、和文を作成するときに、狙いとする英文を頭の中で描いているので、AIにとっても訳しやすい原文となっているはずだ。英日翻訳では逐語訳を避けながら、翻訳調の文章を書くようにしている。このポリシーは200x年代の当ブログでも貫いていたポリシーである。具体的には、主語や目的語の省略を避ける。このため、「くどさ」が出てしまう。でも、主語と目的語を省略しなければ、人間にもAIにも誤読しにくい和文になる。日英翻訳の対象となる和文を書く場合は、これを心がけるべきである。
20年の付き合いがあった発注元からの依頼がコロナ禍以降ピタリと止まり、7年の付き合いがあった別の発注元が翻訳部門を廃止するなどして、仕事日照りが本格化した私が行きついたのが【クラウドワークス】だったが、今年の八月以降、翻訳者の募集が激減、ライターの仕事もAIの扱いが不明瞭で意欲が湧かない状況。冒頭に記したリモートワークの会社がアカウントを持っていたため個人では使用していなかった【ランサーズ】で活動を開始しようとしており、ランサーズには自分のスキルを売り込めるパッケージという機能があるので、下のサンプルはそのために用意した。
AI翻訳が普及する前はガチガチの直訳を出力するMT(機械翻訳)が一部(Microsoftサイトの使用説明など)で使われていたが、あまりに直訳がひどいので、後から訳文を修正するポストエディットと原文を前もって修正しておくプリエディットの2工程が必要となっていた。下のサンプルは、私が原文も書きますよという売込みではなく、AI翻訳版のプリエディットを致しますという売込みが狙いである。
日英翻訳を想定した和文をAI翻訳にかければ、かなり高精度な英文が出力される。
人は選択肢が多いほど疲れる―ネットで能動的に活動して得られる成果がテレビを受動的に活動して得られる成果に勝てないのはこのためか
The more choices people have, the more fatigued they become—this may explain why the outcomes achieved through active engagement on the internet cannot surpass those obtained through passive engagement with television.
われわれは「情報の多さに疲れる」というような表現をすることがある。しかし、人間は情報量が多すぎると本当に疲れてしまうのだろうか? たとえば、テレビを観ている人は、実に大量の視覚情報と聴覚情報にさらされている。だが、テレビを観ているだけで疲労感を覚える人はあまりいないはずだ。
We sometimes use expressions like "overwhelmed by too much information." However, do people really become exhausted from an excess of information? For instance, viewers are exposed to a vast amount of visual and auditory information while watching television. Yet, few people feel fatigued simply from watching TV.
一方、ネットはどうだろう? ネットの使い方にもよるが、何か知りたいことや調べたいことがあって膨大な情報の海をさまよっているうちに、だんだん疲労感が増してくることがある。ここで言う「疲労」とは、目の疲労ではなく精神的疲労のことである。
On the other hand, what about the internet? It depends on how one uses it, but as we wander through the vast sea of information in search of answers or things we want to know, fatigue may gradually increase. The fatigue here refers not to eye strain but to mental exhaustion.
ネットの世界は自分で情報を取捨選択しないと先へ進むことができない。能動的な意思決定が求められる。一方、テレビはこちらの都合など関係なく、情報を延々と流し続ける。(少なくとも現時点の地上波テレビでは)視聴者に残された能動的要素があるとすれば、チャンネルを変えるか、テレビの電源を切るか・・・ぐらいのことしかない。
In the world of the internet, you cannot move forward without actively selecting and filtering information; it requires proactive decision-making. On the other hand, television continues to stream information endlessly, regardless of our preferences. At least with current terrestrial broadcast, the only proactive choices viewers have are to change the channel or turn off the TV.
まあ、テレビを観ていて“うんざり”することなら、いくらでもあるだろう。しかし、それは“情報が多すぎるがゆえの疲労感”とは別物のはずである。
Sure, there are plenty of times when we feel "fed up" watching TV. However, that feeling should be distinct from the "fatigue from too much information."
要するに、人は情報がただ多いだけでは疲れない。情報を受動的に享受しているだけなら疲れない。われわれが「情報の多さに疲れる」とこぼすとき、実際には“情報を能動的に取捨選択”することに疲れているのである。“選択肢の多さ”に疲れていると言い換えてもよいだろう。
In short, people don’t get tired simply from an abundance of information. If we are merely receiving information passively, it isn’t exhausting. When we complain of being "overwhelmed by information," we are actually tired from the active process of selecting and filtering that information. It could also be described as fatigue from "too many choices."
ネットがテレビに勝てない大きな理由は、ここにあるのではないか。リラックスしたい時間は、ネットで“能動的”に過ごすより、テレビを“受動的”に観ている方がよいというわけだ。
This might be a major reason why the internet cannot surpass television. In moments when we want to relax, it’s better to watch TV “passively” rather than spending time “actively” on the internet.
しかし、SNSの登場と普及は上記のようなネットとテレビの闘いの形勢を変えたかもしれない。たとえばインスタグラムでは、ユーザーがキャプションにバイパーリンクを書き込むことができない。X(旧Twitter)では、ツイートの長さが全角で140文字、半角で280文字に制限される。こうして、ユーザーが取りうるアクションの幅を意図的に狭めることで、ユーザーの疲労を軽減しているように見える。
However, the rise and widespread use of social media may have changed the dynamics of the competition between the internet and television. For example, on Instagram, users cannot include hyperlinks in captions. On X (formerly Twitter), the length of posts is limited to 140 full-width characters or 280 half-width characters. By intentionally narrowing the scope of actions users can take, these platforms seem to reduce user fatigue.
本来は既存メディアに対する自由度の高さが魅力であったネットにあえて制限を設けることで、ネットの知識に乏しいユーザーであってもSNSなら積極的に関与することが可能となり、SNSがお花畑のように咲き誇っている。しかし、SNSを制限する動きも始まっている。オーストラリアでは。16歳未満の少年少女がSNSに参加することを禁じる法案が可決された。まずは年齢制限から法的規制が始まり、特定のワードを含む記事を投稿しようとすると、AIがそれをNGワードとして検出し、投稿をできなくする制限が進行している。
The internet originally gained appeal for its high degree of freedom compared to traditional media. However, by intentionally imposing restrictions, even users with limited internet knowledge can actively engage on social media, leading to its widespread flourishing like a blooming garden. Yet, moves to restrict social media are also underway. Australia has passed a bill prohibiting individuals under the age of 16 from participating in social media. Legal regulations have begun with age restrictions, and further controls are being implemented, such as AI detecting and flagging certain words as prohibited, preventing posts containing these terms.
SNSがテレビや新聞などの既存メディアを打ち負かした例として、ハラスメント常習者として糾弾された県知事がSNSを活用して再選するという象徴的な事例がつい最近も発生したばかりである。今後は、SNSが持つ反権力的な潜在性が既得権益者から疎まれ、弾圧が仕掛けられていくだろう。
A symbolic example of social media surpassing traditional media like television and newspapers occurred recently when a governor accused of habitual harassment successfully leveraged social media to win reelection. Moving forward, the anti-establishment potential of social media is likely to be perceived as a threat by vested interests, leading to increasing suppression.
この記事の先頭に戻る