クラウドソーシング「ランサーズ」 なんでも評点:1988年にリリースされた中森明菜のTatooはAI時代の到来を予言していた

2024年02月22日

1988年にリリースされた中森明菜のTatooはAI時代の到来を予言していた


中森明菜のTatooがリリースされた1988年はバブルの絶頂であったが、「都会(まち)にはびこる 哀れなアンドロイド…くどき上手のチープなレプリカント…ハートの萎えた男は要らない Get out! チャンスをあげるわ 熱い 儀式(レポリューション)」(作詞:森由里子)と紡ぎだされたその歌詞を聞く限り、絶頂期を過ぎて退廃が始まろうとしている雰囲気を感じさせる。そして、確かにその後の30年を失ってしまったニッポン。
街にはびこる哀れな
AI時代が到来してから何年経つのだろう? 私はTatooがリリースされたころに産業翻訳業界に入り、89年に東西の壁が崩壊し、ニッポンでバブルが崩壊した1990年代にフリーランスとして独立した。世間ではバブルが崩壊してすっかんぴんになって泣いている人が大勢いたのに、産業翻訳界は1990年代半ばから、Windowsという新たな黒船が巻き起こした次なるバブルに湧いていた。

Windowsバブルは2000年ごろにいったん勢いを失う。産業翻訳業界は、94年ごろに突然の需要激増に対応するため、英語の読み書きが多少できる程度の人材を見境なく雇用したのだが、2000年ごろは再びバブルの崩壊が観測された。翻訳のスキルがプロのレベルに達していれば、このバブル崩壊は乗り越えられた。

2000年ごろまで、私はフリーランス翻訳者の団体を作ろうと画策していたのだが、翻訳者と名乗っている人の間でスキルに差があることをあまり大きな問題と見ていなかった。経験年数があり、スキルにも優れる人は第二のバブル崩壊の影響をほとんど受けなかったが、スキルが未熟な新参者には仕事が来なくなった。このような古株との差を一種の既得権益だとみなす新参者もいた。フリーランス翻訳者の団体を作ろうと画策していた私が槍玉に上がったことは言うまでもない。

それまでは、ソースクライアントからの直接受注に焦点を合わせ、バーチャルカンパニー方式での受注に心血を注いでいた私だが、コンプライアンス信仰の高まりとともに企業が個人との直接取引を避けるようになっていたことに加え、新参者からの突き上げに嫌気がさしたことで、企業との直接取引から手を引く(甘い理想を追いかけるのはヤメにした)。代わりに翻訳会社との関係を深めるようになる。こうして新参者を切り捨てた私はリーマンショックまで平穏に過ごした。

リーマンショックは産業翻訳界の終焉とさえ感じられたが、AIブームの今日から見ると、全然大したことない。リーマンショックで翻訳の単価は2割ぐらい下がったかもしれないが、AI蔓延とコロナ禍で単価は甘く見ても5分の1に下がった。年収1千万が年収200万に落ちるぐらいのインパクトである。

てなわけで、かつてプロ翻訳者であった私にとって、AI蔓延は失職に値する厄災であり、私自身が典型的なAIブームの被害者なのだが、翻訳とAIのインパクトについては本稿でもう触れまい。

Tatooの歌詞にAIもしくは人工知能という語句は一度も出てこない。だが、1988年、AIという略語が世間の会話や書き言葉に登場することは皆無だった。アンドロイドで十分である。「哀れなアンドロイド」はAIに隷属している「哀れな一般人」であり、AIがレスポンスとして返す文や画像(そしてこれからは動画)は「チープなレプリカント」つまり魂のこもっていない安っぽい複製品なわけだ。

なぜ1988年と言う、バブルは頂点だがぼちぼち終わりそうで、まだ21世紀が十年以上先であり、1999年には自分たちは滅びるのだと信じていた若者が多く群れを成していたあの時代に2020年代を予言するような歌詞が作られたのか。

詩や歌が未来を予言したかもしれない例は、ノストラダムス以外にも、枚挙に暇がない

この歌詞は、「レプリカント」というたった一語だけをとらえて、フィリップ・K・ディック作のSF小説『ブレードランナー』との関係が取り沙汰されたようだが、AI禍の被害者たる私は、「社会にはびこる哀れなAIスレイブ… しったか上手なチープなAIレスポンス」と空耳してしまう。




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