2008年04月30日
世界の歴史に名を残した人物なら、その子孫が世界中に見つかることもあるだろう。とりわけ英雄や権力者には、権勢を高めて維持することと同じくらい、出来るだけ多くの子孫を残すことにも貪欲であった者が多い。また、冒険家や探検家のたぐいを見れば、探訪する先々で自らの遺伝子をせっせと種蒔きしてきたことを示す逸話も残されている。
話は19世紀まで遡る。1839年、18歳の少年が母国イングランドを後にし、大海原へと旅立っていった。ただし、この少年が後に歴史上の有名人物になったという話ではない。“ウィリアム・マースターズ(William Marsters)”という彼の名が歴史資料に登場したことは、これまで一度もなかった。
歴史上、まったく無名といっていい人物である。だが、マースターズ少年が大海原に旅立ってから170年の歳月が経過した現在、世界中に彼の子孫が見つかるという。そう報告しているのは、南太平洋ポリネシアのクック諸島の歴史を研究している英国チェシャー州出身の文筆家ジョン・ロバート氏である。
ウィリアム・マースターズは当初、米国カリフォルニアのゴールドラッシュに魅せられて英国を後にしたらしい。しかし、いつの間にかポリネシアの島々を渡り歩くようになり、現地の娘3人を妻として娶った。ココナツの輸出を生業として、妻子を養った。
そして、1863年の6月8日、ウィリアム(当時既に42歳)は3人の妻と子供を連れてパーマストンという名の孤島に移り住む。珊瑚礁で囲まれた小さな島である。ココナツの輸出の仕事にもさほど時間を取られていなかったようで暇を持て余したウィリアムは、さらにもう1人の妻を娶った。
子作りにせっせと励む日々を送ったおかげで、彼が4人の妻に産ませた子供の総数は17人に達した。1899年の5月22日に78歳で他界するまでに、孫の数も54人に達していた。
ウィリアムは、18歳で英国を後にするまで、大工として働いていたらしいことがわかっている。パーマストン島でも、その手腕が発揮された。彼が難破船の木材を集めて建てた家は1926年のハリケーンにも耐え、現在も変わらぬ姿で立ち続けている。
ウィリアムが残した末娘が亡くなったのは比較的最近の1973年のことである。ロバート氏の調査によると、パーマストン島の現在の住民はわずかに63名。その全員がウィリアムの子孫である。ウィリアムが残した子孫の総数は、はるかに多かったはずだ。つまり、ほかの子孫はパーマストン島を後にして、どこか別の島や別の国に移り住んだということになる。
パーマストン島に残ったわずか63人の子孫は全員が英語を“母国語”として話す。しかも、その英語にはウィリアムの出身地とされるグロスターシャー州特有の訛りがある。ロバート氏がウィリアム・マースターズという人物のことを調べ始めたのは、その訛りのことを知ったのがきっかけだった。
ロバート氏は文筆業の傍ら、www.cookislands.org.ukというサイトを運営している。ウィリアム・マースターズのことを話題にしたところ、世界各国から「自分はその血筋の者だ」という電子メールが送られてくるようになった。現在でも、週に1通は“子孫からのメール”が届いているという。
つい先日も、ニュージーランドで暮らしている“子孫”からメールが届いた。最近生まれた孫に偉大なるご先祖様と同じ“ウィリアム”という名を付けたという誇らしげな文面のメールだった。
ウィリアムの子孫の多くが世界各国に散らばって行ったとすれば、それもまた祖先ウィリアムから、新しい環境を決していとわない“フロンティア精神”を受け継いだことの証かもしれない。
ロバート氏は、クック諸島を訪問するたびにパーマストン島への渡航を試みているが、その願望がかなったことは一度もない。パーマストン島には飛行場などないし、船の定期便も存在しない。クルーザーで気軽に出かけられるような距離ではない。
しかも、1969年に地図が改訂されるまで、パーマストン島は不正確な位置に記載されていた。最初にクック船長が諸島を発見したときの記載がそのまま検証されずに使用されていたという。
ウィリアム・マースターズもまた、生前の記録に乏しく、上記のようなことがわかっているものの、謎のベールに包まれた人物である。確かに大勢の子孫がおり、自分たちの祖先がウィリアムという名であったことを代々伝え聞かされているのだが・・・。
★ ★ ★
本来、動物のオスには自らの子孫を出来るだけ多く残そうとする本能が組み込まれている。ヒトのオスもその例外ではないのだが、現代の文明社会ではさまざまな社会的圧迫がそれを阻んでいる。
端的な言い方をすれば、4人までの妻帯が許されるイスラム圏を別として、1人の男が同時進行的に複数の女性を孕ませることは社会道徳的に許されない。仮に許されたとしても、今度はちゃんと経済的に責任を取ることが要求される(それはイスラム圏でも同じことだが)。
しかし、19世紀(およびそれ以前)、冒険心と開拓精神に溢れた男たちが西洋文明圏外に飛び出したときは、まさにこの“子孫を出来るだけ多く残したい”という本能のままに生きることができたのだろう。
だから歴史上の有名人物でなくても、上記のウィリアム・マースターズのように複数の妻を娶るなどして、出来るだけ多くの子孫を残した男たちが世界各地にいたはずだ。オスとしての本能の根幹の部分を大いに満足してこの世を去ることができた彼らは一匹のオスとして“至福の生”を全うすることができた・・・のかもしれない。
これもまた“男のロマン”なのだろう。しかし、最近では、自らの遺伝子を引き継ぐ子孫を残すことに関心のない男性も増えてきているようだ。知的な人ほどその傾向が強いという話もある。当ブログ恒例の“論理の飛躍”を加味するなら、現代では「知」の向き先が閉塞しているからではないかという見方もできそうだ。
ウィリアムが大勢の子孫を残した19世紀当時のように、まだ未開拓な部分が無尽蔵にあった時代なら、知恵を持つ者はそれをすぐに自分の手で実践すればよかった。ウィリアムにしろ無軌道に見えながら、ちゃんとココナツの輸出で大所帯を養った。離島にありながら、英語だって、会話だけでなく読み書きも子供たちに受け継がせた。
実は、こちらの方が“男のロマン”としては本筋かもしれない。未開拓な部分が無尽蔵にあれば、知恵をどんどん注ぎ込んで我が物として開拓していくことができた。古き良き時代というやつである。
しかし、何もかもが開拓されつくしてしまった現代では、未開拓の隙間がどこかにわずかに残っているに過ぎない。神経をすり減らしながら、その狭い狭い隙間をたどっていかねばならない。行き止まりにぶち当たることも多い。
どこにもフロンティアが見つからない。一昔前のSFドラマなどでは、宇宙がそのフロンティアとなるはずだった。だが現実はこのとおり。21世紀になっても、われわれは地面にへばりついている。
■ Reference: The English adventurer who settled on a tiny Pacific island 145 years ago...
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歴史上、まったく無名といっていい人物である。だが、マースターズ少年が大海原に旅立ってから170年の歳月が経過した現在、世界中に彼の子孫が見つかるという。そう報告しているのは、南太平洋ポリネシアのクック諸島の歴史を研究している英国チェシャー州出身の文筆家ジョン・ロバート氏である。
ウィリアム・マースターズは当初、米国カリフォルニアのゴールドラッシュに魅せられて英国を後にしたらしい。しかし、いつの間にかポリネシアの島々を渡り歩くようになり、現地の娘3人を妻として娶った。ココナツの輸出を生業として、妻子を養った。
そして、1863年の6月8日、ウィリアム(当時既に42歳)は3人の妻と子供を連れてパーマストンという名の孤島に移り住む。珊瑚礁で囲まれた小さな島である。ココナツの輸出の仕事にもさほど時間を取られていなかったようで暇を持て余したウィリアムは、さらにもう1人の妻を娶った。
子作りにせっせと励む日々を送ったおかげで、彼が4人の妻に産ませた子供の総数は17人に達した。1899年の5月22日に78歳で他界するまでに、孫の数も54人に達していた。
ウィリアムは、18歳で英国を後にするまで、大工として働いていたらしいことがわかっている。パーマストン島でも、その手腕が発揮された。彼が難破船の木材を集めて建てた家は1926年のハリケーンにも耐え、現在も変わらぬ姿で立ち続けている。
ウィリアムが残した末娘が亡くなったのは比較的最近の1973年のことである。ロバート氏の調査によると、パーマストン島の現在の住民はわずかに63名。その全員がウィリアムの子孫である。ウィリアムが残した子孫の総数は、はるかに多かったはずだ。つまり、ほかの子孫はパーマストン島を後にして、どこか別の島や別の国に移り住んだということになる。
パーマストン島に残ったわずか63人の子孫は全員が英語を“母国語”として話す。しかも、その英語にはウィリアムの出身地とされるグロスターシャー州特有の訛りがある。ロバート氏がウィリアム・マースターズという人物のことを調べ始めたのは、その訛りのことを知ったのがきっかけだった。
ロバート氏は文筆業の傍ら、www.cookislands.org.ukというサイトを運営している。ウィリアム・マースターズのことを話題にしたところ、世界各国から「自分はその血筋の者だ」という電子メールが送られてくるようになった。現在でも、週に1通は“子孫からのメール”が届いているという。
つい先日も、ニュージーランドで暮らしている“子孫”からメールが届いた。最近生まれた孫に偉大なるご先祖様と同じ“ウィリアム”という名を付けたという誇らしげな文面のメールだった。
ウィリアムの子孫の多くが世界各国に散らばって行ったとすれば、それもまた祖先ウィリアムから、新しい環境を決していとわない“フロンティア精神”を受け継いだことの証かもしれない。
ロバート氏は、クック諸島を訪問するたびにパーマストン島への渡航を試みているが、その願望がかなったことは一度もない。パーマストン島には飛行場などないし、船の定期便も存在しない。クルーザーで気軽に出かけられるような距離ではない。
しかも、1969年に地図が改訂されるまで、パーマストン島は不正確な位置に記載されていた。最初にクック船長が諸島を発見したときの記載がそのまま検証されずに使用されていたという。
ウィリアム・マースターズもまた、生前の記録に乏しく、上記のようなことがわかっているものの、謎のベールに包まれた人物である。確かに大勢の子孫がおり、自分たちの祖先がウィリアムという名であったことを代々伝え聞かされているのだが・・・。
本来、動物のオスには自らの子孫を出来るだけ多く残そうとする本能が組み込まれている。ヒトのオスもその例外ではないのだが、現代の文明社会ではさまざまな社会的圧迫がそれを阻んでいる。
端的な言い方をすれば、4人までの妻帯が許されるイスラム圏を別として、1人の男が同時進行的に複数の女性を孕ませることは社会道徳的に許されない。仮に許されたとしても、今度はちゃんと経済的に責任を取ることが要求される(それはイスラム圏でも同じことだが)。
しかし、19世紀(およびそれ以前)、冒険心と開拓精神に溢れた男たちが西洋文明圏外に飛び出したときは、まさにこの“子孫を出来るだけ多く残したい”という本能のままに生きることができたのだろう。
だから歴史上の有名人物でなくても、上記のウィリアム・マースターズのように複数の妻を娶るなどして、出来るだけ多くの子孫を残した男たちが世界各地にいたはずだ。オスとしての本能の根幹の部分を大いに満足してこの世を去ることができた彼らは一匹のオスとして“至福の生”を全うすることができた・・・のかもしれない。
これもまた“男のロマン”なのだろう。しかし、最近では、自らの遺伝子を引き継ぐ子孫を残すことに関心のない男性も増えてきているようだ。知的な人ほどその傾向が強いという話もある。当ブログ恒例の“論理の飛躍”を加味するなら、現代では「知」の向き先が閉塞しているからではないかという見方もできそうだ。
ウィリアムが大勢の子孫を残した19世紀当時のように、まだ未開拓な部分が無尽蔵にあった時代なら、知恵を持つ者はそれをすぐに自分の手で実践すればよかった。ウィリアムにしろ無軌道に見えながら、ちゃんとココナツの輸出で大所帯を養った。離島にありながら、英語だって、会話だけでなく読み書きも子供たちに受け継がせた。
実は、こちらの方が“男のロマン”としては本筋かもしれない。未開拓な部分が無尽蔵にあれば、知恵をどんどん注ぎ込んで我が物として開拓していくことができた。古き良き時代というやつである。
しかし、何もかもが開拓されつくしてしまった現代では、未開拓の隙間がどこかにわずかに残っているに過ぎない。神経をすり減らしながら、その狭い狭い隙間をたどっていかねばならない。行き止まりにぶち当たることも多い。
どこにもフロンティアが見つからない。一昔前のSFドラマなどでは、宇宙がそのフロンティアとなるはずだった。だが現実はこのとおり。21世紀になっても、われわれは地面にへばりついている。
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この記事へのコメント
1. Posted by jacklegdoc 2008年04月30日 09:23
子孫に語り継がれているぐらいなので、多くの逸話というか武勇伝を残したのかもしれませんね。無名な人間を好き好んで研究する人がいるのかと思いましたが、パーマストン島を調べて明らかになったんですね。
未開の地もまだまだあるという話も聞きますが、地球が丸いと分かって全体像が見えてきたあたりから、開拓精神が違う方向に向かうようになったんですかね。自分の分野でいうとヒトゲノムが解析されてしまったあたりから分子生物学が知的好奇心から臨床応用にシフトしたような感じがあります。全然話が違いますが。
未開の地もまだまだあるという話も聞きますが、地球が丸いと分かって全体像が見えてきたあたりから、開拓精神が違う方向に向かうようになったんですかね。自分の分野でいうとヒトゲノムが解析されてしまったあたりから分子生物学が知的好奇心から臨床応用にシフトしたような感じがあります。全然話が違いますが。
2. Posted by 経済学者の妻 2008年04月30日 14:01

いつの時代にも閉塞感は、生きるものに付きまといます。そして平和な退廃の中の孤独感。なにか自らに新しいこと!と求める青年の話を思い出しました。映画「タクシードライバー」、この映画は現実の大統領暗殺事件の引き金にさえなりました。名作ですので、連休中にいかがでしょう。
知の向き先が閉塞しているか解放されているのか?それは、宇宙のようですが、「知」が「道具」であるのなら、使いようだと思うのです。自由を得ることも、幸福を感じることも、それは、ご自身の気持ちしだい・・・と私は思います。
3. Posted by 経済学者の妻 2008年04月30日 14:20
芸術家は紙とペンだけの世界にきっとフロンティアを描けるように、人間の世界や想像力は閉塞していないと思いたいです。
私は、まだ何かが世界を変えていくんだと思います。
ミッキー様が発信している情報は、本意ではなくともTVからも発信、ネットや本を見た家庭や友人間で語られ、少しずつ、ミッキー様の作り上げた世界観が伝わっていきます。
影響を受けて、いつか新しい時代の流れとなるのかもしれません。これからも、何か考えるキッカケやヒントとなる情報・世界観を教えて欲しいです。
私は、まだ何かが世界を変えていくんだと思います。
ミッキー様が発信している情報は、本意ではなくともTVからも発信、ネットや本を見た家庭や友人間で語られ、少しずつ、ミッキー様の作り上げた世界観が伝わっていきます。
影響を受けて、いつか新しい時代の流れとなるのかもしれません。これからも、何か考えるキッカケやヒントとなる情報・世界観を教えて欲しいです。
4. Posted by 2008年04月30日 16:43

じように海外に飛び出した時期があったわけですよね。
だから今の日本の閉塞的状況が誰よりよく見えているのかもし
れませんね。
こういう閉塞を打開する確実な方法は1つあります。世の中を
もう一度フロンティアだらけの状態に戻せばいいのです。
これ以上書くと怒られそうなのでやめときますが。
5. Posted by 森尾 2008年04月30日 18:58
大航海時代にも一般市民はいたわけだし(というか一般市民のほうが多いだろうし)、今とさして変わらないのではないかと思う。
どの時代でも、一部の人しかフロンティアが見えないし目指せないんじゃないかと。
どの時代でも、一部の人しかフロンティアが見えないし目指せないんじゃないかと。