クラウドソーシング「ランサーズ」 なんでも評点:遥かなるアンタナナリーボ:マダガスカル回想記(その3)

2008年03月03日

遥かなるアンタナナリーボ:マダガスカル回想記(その3)


たった2回のマダガスカル訪問を回想する文は今回で完結する予定だったが、個々の記事が長くなりすぎるので第4回まで続くことになりそうだ。第1回では、墜落しそうになりながらも辛うじて空港に到着した飛行機が滑走路で停止したまま何時間も足止めを食らったエピソードを書いた。だが、いったいあの飛行機に何が起きていたのかについては、あえて伏せておいた。
実は、あの翌日、工場長と牡蠣を食べているときに、彼の口から何やら非常にわかりにくいフランス語交じりの説明を聞かされた。記憶の糸を手繰り寄せて、無理やり日本語にしてみると、次のような話だった。

「機長が“侵入者”によって機のコントロールを奪われそうになったんだよ。しかし、その“侵入者”は目的を達成することなく、機長や副操縦士らによって取り押さえられた。結局、機長らは機体の制御を立て直して、無事着陸することに成功した。着陸後、当局が“侵入者”を連行するために空港にやってくるまでに時間がかかった。だから、君らは飛行機の中で待たされたままだった」

要するにハイジャック未遂事件が起きていたらしいのだ。まあ、そういったことに感覚が麻痺していた当時の私なので、さほど驚きもしなかった。機体の故障でなかったとしたらそんな事情だったのではないかと思っていたし、結果的に無事で済んだんだから今さら驚いても仕方がない・・・みたいな感じだった。

当局の到着に時間がかかった理由はよくわからなかったが、軍と警察が仕事の取り合い、もしくは擦り付け合いをしたためじゃないか、というのが工場長の推測のようだった。

だが、機内の明かりがすべて消えた理由がよくわからなかった。1年後、再び南アを離れてマダガスカルに向かうことになった私は気分転換ができそうで嬉しいと思う反面、また、マダガスカル航空機に乗るのかと思うと少しだけ憂鬱だった。

それと、もう1つ心配なのは、あの工場長のアルコール依存症(もしくはアルコール性肝障害)がますます進行しているのではないかという点。その心配には、彼の権限を頼りに商談を成立させるのだから、商談成立後に彼に倒れられたりしたら困るという打算的な意味も含まれていた。

今回は、マダガスカル訪問前にモーリシャスで数日を過ごした。現地の華僑との商談があったのだが、そっちは早々に片付き、その華僑が所有している別荘で優雅に過ごさせてもらった。優雅とは言え、ゴキブリがしばしば出没する別荘ではあったが。

モーリシャスを朝一番で飛び立ち、午前中のうちにアンタナナリーボに到着する便に乗った。今回は、工場長がじきじきにプジョーで迎えに来てくれた。やはり酒臭かった。甲高い声で話すその言葉が去年よりさらに分かりにくい気がした。

去年見たときも工場長は痩せぎすな体形だったが、今年はさらに痩せて見えた。特に頬がこけているように見えた。

だが、車の運転はちゃんとこなせていた。運転に関するかぎり別に不安に思いはしなかった。ただし、彼が私を乗せて行った先は、宿泊先のヒルトンでもなければ、アンタナナリーボ郊外の工場でもなかった。

いまひとつ記憶が不鮮明なのだが、辿り着いた先は、白い壁で囲まれた白い邸宅だった。「ここが俺の家だ。昼飯を食べていこう。家内が用意してくれている」

工場長と同じくフランス人の奥さんが愛想よく出迎えてくれた。どんな料理を食べさせてくれたかは思い出せない。わりと簡単なものだったような気がする(フランスから空輸されたっぽい、あのありがちなエスカルゴが出たような・・・)。とにかく、ワインのボトルが何本も空いた。いろんな種類の美味なチーズが出てきた。

庭を眺めていると、いくつもの巨大な石のようなものがゆっくりと動いている。よく見ると、ゾウガメだった。十匹以上のゾウガメがペット代わりに飼われていた。私の驚いたそぶりを見て、工場長は自慢げな様子だった。「日本にも南アにもいないだろう? いざというときは食料にもなるしね。ゾウガメは、わりと旨いらしいよ」

・・・と、今回はここで区切っておくことにする。本当はもっと細かい描写をしたいところなのだが、長くなりすぎる。それに、あくまで一部の読者にしか楽しんでもらえない系統の話だとわかっている。

★  ★  ★


今は、珍ニュース系統の話を積極的に取り上げる気分になれない。実は本業の方では、3年ぶりくらいに、そこそこ美味しい仕事が増えてきている。ようやく貧乏暇なしモードから脱却できそうな雰囲気になってきた。時間に余裕も出来始めている。だが、珍ニュースを題材にした記事を書くことに少し苦痛を感じている。

肝臓を患った母親の容態がいよいよ悪くなってきたのも関係している。あの人の人生は、我慢の人生だった。どんな苦痛にも耐えてきたはずの人が、ついに崩壊してしまった。もう自分で大の用を足すこともできなくなった。自分で用を足すかどうかが最後の砦だったように思う。これから先、快方に向かう可能性はゼロに等しい。意識レベルも低く、会話もほとんど交わせなくなっている。

当ブログでは、医者にそう言い渡された患者が奇跡的に回復する話を取り上げてきた。「ありえな〜い100選」の方でも「One in A Million」という英語の副題をつけた章に何本も収録されている。しかし、あくまで100万回に1回、100万人に1人くらいの奇跡でしかないのだ。






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この記事へのコメント

1. Posted by _   2008年03月03日 03:15
無理をしないで、気が向いたときに更新して下さい。今は、お母さんの事に専念してあげて下さい。
読者はいつまでも待っていますから。
2. Posted by 名無し   2008年03月03日 03:29
筆者が小手先でトンデモ系ニュースをネタにしてきたんじゃないことがよくわかった
3. Posted by 美里   2008年03月03日 04:09
5 私の母も今,入院をしています。余命宣告もされました。私はこのブログを通して「奇跡」が起きた記事を読ませて頂いきました。確かに「奇跡」は簡単には起せないし,おとずれない。でも,私はこのブログの「奇跡」の記事を読むたびに,自分の母に「奇跡」が起きる事を願わずにはいられません。また,「奇跡」が起きたと言う記事を見て励みにしている自分がいます。そんな記事を書いてくださった貴方に感謝しています。
4. Posted by 亜光   2008年03月03日 16:27
5 いつも楽しく拝見してます。私の父は胃癌で亡くなりました。自分の為にも後悔のないよう過ごしてください。意識レベルが低くて会話ができなくても、聞こえているはずです。
無理をなさらずに時間を大切に。
5. Posted by ヴァル   2008年03月03日 18:08
回想記も、楽しく拝見していますb
リアルを犠牲にせず、まったりと亢進していってください(`・ω・´)
6. Posted by 生野菜ATK   2008年03月03日 20:21
4 いつも楽しく読んでいます
とりあえず、いつも面白い話しを提供している管理人さんに御礼を

ありがとうございます

これからも楽しみにしています
7. Posted by サモハン   2008年03月03日 21:22
いつも楽しく拝読させて頂いています。
実はこの回想記が一番楽しみだったりします。筆者の経験談ということで、より現実味を感じるためでしょうか。
更新、気長に待っていまーす。
8. Posted by あ   2008年03月03日 21:25
もっと詳しく聞きたい。面白い
9. Posted by 花   2008年03月04日 04:59
母者様の容態安否、切に願うばかりでございます。また、伴って御自身を壊されることが無きよう、どうか御慈愛下さい。

筆者様の体験記におかれましても、まるで自分の回想かの如く、溢れんばかりの想いを馳せて拝読させて戴いております。

著作・作家を生業としている以上、著に対し想うところが生じるのは当然のことかと存じますが、人生に於いて母たる存在は深く、我が母が病床についた時、私自身、自らを振り返る回想の時期と巡り逢いました。
前述致しましたが、くれぐれも母者様また御自身をも慈しんで下さいます様お願い申し上げます。

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