2007年12月01日
理由があって氏名は明かされていないが、スコットランド・スターリングシャーの公営住宅で両親とつつましやかに暮らしている19歳の少女が日本円にして2億3千万円相当の遺産金の相続人になろうとしている。だが、本人はまだそのことを知らない。そもそも、その遺産を残してこの世を去った男性のことを彼女は覚えていない。
少女にとって、今の父は継父である。母が前夫と離婚して今の夫と再婚したのは数年前のこと。だから当然、少女は母の前夫、つまり自分にとっての“実の父”のことをよく覚えている。しかし、彼女が“実父”と信じている男性は、本当は彼女の実父ではない。
少女の母の名も明かされていないのだが、紛らわしさを避けるため「Aさん」と呼ぶことにしよう。19歳の娘は、Aさんと前夫の間に生まれた子ではなく、前夫と出会う以前に交際していたスチュワート・ゲアという男との間に生まれた子だった。
Aさんにとって、スチュワートさんが100万ポンド(約2億3千万円)もの遺産を残すなんてことは想像すらできないことだった。スチュワートさんは外見もハンサムで、気質も男気にあふれていたが、金儲けの才覚からはほど遠い男だった。それどころか、ドラッグにも手を出すなど、社会の道を踏み外し気味の不良男だった。
しかも、スチュワートさんは1989年から終身刑に服していた。どう考えても、そんな大金を残すはずがなかった。
Aさんがスチュワートさんと出会ったのは、彼女がまだ18歳だった1987年のこと。スチュワートさんは、6つ年上の24歳だった。むしろ夢中になったのは、Aさんのほうだったかもしれない。ほどなく彼女は、スチュワートさんの子を身ごもった。
だが、お腹の子が生まれるより前に二人の関係は終わった。スチュワートさんは、Aさんが自分の子を妊娠したことを知っていたが、依然として放蕩生活をやめようとしなかった。だから、Aさんは別れを決心したのだという。
そして、赤ん坊がまだ1歳になるかならないかのときに、スチュワートさんが殺人の疑いで逮捕されてしまった。グラスゴー市内の公衆トイレで、ピーター・スミスという男性を死に至らしめたという容疑だった。その公衆トイレは、ゲイ男性たちの出会いの場として知られていた。
Aさんは、そのときのことをこう振り返る。「本当にショックを受けました。スチュワートに人を殺せるはずがないと思いました。そりゃトラブルは絶えませんでしたが、いつも些細なことばかりでしたし」
しかし、真相はどうであれ、娘の実の父が殺人犯として囚われの身になったことは歴然たる事実だった。Aさんは、スチュワートさんが娘の実父であることを金輪際誰にも明かすまいと決心した。
それに、娘が生まれた後、Aさんは別の男性と交際を始めていた。その男性は、Aさんの娘を我が子のように可愛がってくれた。やがて、二人は籍を入れた。現在19歳になる娘が実父と信じて疑わないのは、その男性(前夫)である。
一方、スチュワートさんは1年以上続いた公判の末、有罪を宣告され、終身刑を言い渡された。その判決が下りて数週間後、Aさんのもとにスチュワートさんから一通の手紙が届いた。Aさんと娘に会いたくてたまらないという内容だった。
車椅子生活を送っている母親が彼にとって唯一の身寄りであることを知っていたAさんは、スチュワートさんのことが不憫になり、刑務所に面会に行くことを決めた。まだ物心ついていない幼い娘の姿を見たスチュワートさんは、本当に嬉しそうだった。
その後も数回にわたり、Aさんは娘を連れて面会に出向いた。Aさんは、スチュワートさんが仮釈放なしの終身刑に服していることを知っていた。それは、娘の実父が永久に塀の外に出て来られないことを意味していた。
娘も、いずれは物心つき始め、刑務所に面会に行ったことや、スチュワートさんの姿や仕草が記憶に残るようになる。娘の将来を考えると、いつまでもこんなことを続けているわけにはいかなかった。
Aさんは「もう面会には来ないし、手紙のやり取りなどにも応じない」とスチュワートさんに告げた。
男気のある気質は昔のままだった。「彼は、私が面会に来るのをやめる理由を十分に理解してくれました。彼は男らしく身を引いてくれました。こうして、彼は自分の唯一の子供と永遠に接触を絶たれてしまったのです」
ところが、Aさんと娘がスチュワートさんと最後に面会してから10年以上が経過した2000年のこと、Aさんの姉の家に1本の電話がかかってきた。なんと、スチュワートさんからの電話だった。むろん、刑務所の中から電話してきたわけではない。
Aさんにすれば、スチュワートさんの存在を今さら娘に知らせることだけは避けたかった。仮釈放のないはずのスチュワートさんが自由の身になっているという事実がこれから先、どのような事態に発展していくかを吟味している余裕などなかったようだ。
実はこのとき、スチュワートさんは仮釈放されたわけではなく、かといって脱走したわけでもなく、保釈されて自由の身になっていたのである。彼に仮釈放なしの終身刑を言い渡した判決が冤罪の疑いで差し戻されることになったためだった。
スチュワートさんは、そのことを説明した上で、Aさんと娘に会わせてほしいとAさんの姉に頼んできたのだった。Aさんからスチュワートさんに電話をかけなおし、「決して会うことはできない」と告げた。娘は別の男性のことを自分の父親と信じているのだ、と。
今回もスチュワートさんは男らしく引き下がった。ただし、ひとことだけ警告を残して。「やがていつか、あの子が真実を知る日が来る」
その言葉は正しかった。まだ現時点では、Aさんの娘は自分がスチュワートさんの遺産の相続人になっていることも知らず、スチュワートさんの存在自体も知らない。だが、まもなく遺産相続のための審査手続きが開始される。この手続きには、DNA親子鑑定も含まれる。
★ ★ ★
さて、スチュワートさんはどうして100万ポンド(約2億3千万円)もの遺産を残すことになったのだろうか? 簡単に言うと、冤罪で11年間も服役したことに対する賠償金である。
スチュワートさんは、スミスという男性の心臓を一突きにして死に至らしめたと断定されて有罪宣告を受けたのだが、実は彼には、犯行があった時刻に別の場所にいたというアリバイが存在していた。スチュワートさん自身、公判を通じて自分の無罪を訴え続けていたが、結局、過半数評決により終身刑が言い渡された。
スチュワートさんは服役が始まった後も無実を訴え続けていた。11年後の2000年になってようやく、スコットランド刑事事件再審査委員会が彼に対する判決を上訴裁判所に差し戻すことになったのである。
その時点で、彼は保釈扱いとなった(再審の結果、再び有罪になる可能性もあったから“無条件での釈放”ではなく“保釈”という形式になったわけである)。再審には6年もの時間を要したが、結局、2006年の7月、ついにスチュワートさんは無罪を勝ち取った。この冤罪は、「スコットランド史上最悪の誤審」とも評された。
かくしてスチュワート・ゲアさんは、完全に自由の身になり、多額の賠償金を受け取ることとなった。しかし彼の人生には長い空白があった。1988年に冤罪で捕まり、その後1989年から11年の長きにわたって服役の日々を過ごした。最後に愛した女性Aさん、そして彼女との愛の賜物であったはずの娘との接触を試みるも、むげに断られてしまった。
自由を勝ち得て、多額の賠償金も約束されたとはいえ、彼が外部から隔離されていた12年の歳月を元に戻すことはできない。自由になった後も、さぞかし孤独な日々を送っていたのではないだろうか。
彼の人生は先日、あっけなく幕を閉じてしまった。11月下旬のある日、スチュワートさんは突然の心臓発作に襲われ、そのまま帰らぬ人となったのである(享年43)。
スコットランドの誤審究明組織MOJO(Miscarriages of Justice Organisation)のスポークスマン、ジョン・マクマナス氏は、彼が受け取る予定だった賠償金の行方について、こう語った。「スチュワート・ゲアさんには、娘さんが1人いることがわかっています。彼が受け取る予定だった賠償金は、その娘さんが受け取ることになるでしょう。
「スチュワートさんは生前、その娘さんのことを私に話してくれました。財布の中に大事に仕舞ってある彼女の写真も見せてくれました」
スチュワートさんは、濡れ衣を着せられて11年の長きにわたり服役していたときも、ときどきその写真を取り出してきては、もう永遠に会えないはずの娘に切ない思いを馳せていたのだろう。
Daily Recordの独占取材を受けたAさんは、涙ながらにこう話している。「物事がもっと違う方向に進んでいたらよかったのに。スチュワートが服役するようなことにならなければよかったのに・・・。でも、今の暮らしで娘はちゃんと育ってきました。
「私は、娘を守りたい一心でした。どんな母親だって、正しい選択をして子供を守ろうとするのではないでしょうか。
「娘が賠償金の相続人になるということは、それだけスチュワートが娘のことを思い続けていたということなんでしょうね。今は実感も湧きませんが、そのお金が娘の将来を保証してくれることだろうと思います。
自由を求めたスチュワートの戦いが決して無為に終わらなかったことだけは確かだと思います」
★ ★ ★
なお、賠償金の金額を100万ポンドと示したが、実際の金額は明らかにされていない。その半分ほどになる可能性もある。それでも日本円で1億円を超えており、大金であることに変わりはない。
「やがていつか、あの子が真実を知る日が来る」というスチュワートさんの予言は的中した。遺産相続のための審査手続きが開始されれば、娘は否応なくスチュワートさんの存在を知ることになる。もっとも、スチュワートさんにしても、まさかこんな形で自分の予言が的中するとは予想だにしていなかっただろう。
彼が思い描いたのは、生きて娘に会うことだったに違いない。冤罪という究極の理不尽と戦って見事に勝利を収めた父として、安らかな気持ちで娘と語らう日が来ることを夢に見ていたはず。
Aさんにとっては、真相はどうであれ娘の実の父が終身刑の服役囚であるという現実をいかんともしがたかったのだろう。彼女の「自分は正しい選択をして子供を守ろうとしたのだ」という言葉がそのすべてを物語っている。その事実を隠し通すことが最善の選択だと判断したのだ。
しかし、スチュワートさんの冤罪が晴れた場合のことまでは、彼女の想定範囲に入っていなかった。スコットランドでは1999年から誤審の被害者への賠償金支払いが開始されたらしいのだが、Aさんはそういう新しい制度のことを知らなかったのだろう。
仮にスチュワートさんがこの世を去ることがなかったなら、彼は既に身の潔白が証明されており、何一つやましいことがないのだから、受け取った賠償金の一部を娘に贈与することなどを考えたのではないだろうか。そうなれば、いずれは娘が彼の存在を知ることになったはず。
一方、娘さんの方は、まもなく二重の意味での青天の霹靂にさらされることになるだろう。彼女がその衝撃をどう受け止め、どう消化していくかは予想がつかない。悪い方へ転ばないことを願いたい。獄中から娘を思い続けた父のためにも。
■ Source: Girl Inherits £1m From Jail Dad She Never Knew
【関連記事】
少女の母の名も明かされていないのだが、紛らわしさを避けるため「Aさん」と呼ぶことにしよう。19歳の娘は、Aさんと前夫の間に生まれた子ではなく、前夫と出会う以前に交際していたスチュワート・ゲアという男との間に生まれた子だった。
Aさんにとって、スチュワートさんが100万ポンド(約2億3千万円)もの遺産を残すなんてことは想像すらできないことだった。スチュワートさんは外見もハンサムで、気質も男気にあふれていたが、金儲けの才覚からはほど遠い男だった。それどころか、ドラッグにも手を出すなど、社会の道を踏み外し気味の不良男だった。
しかも、スチュワートさんは1989年から終身刑に服していた。どう考えても、そんな大金を残すはずがなかった。
Aさんがスチュワートさんと出会ったのは、彼女がまだ18歳だった1987年のこと。スチュワートさんは、6つ年上の24歳だった。むしろ夢中になったのは、Aさんのほうだったかもしれない。ほどなく彼女は、スチュワートさんの子を身ごもった。
だが、お腹の子が生まれるより前に二人の関係は終わった。スチュワートさんは、Aさんが自分の子を妊娠したことを知っていたが、依然として放蕩生活をやめようとしなかった。だから、Aさんは別れを決心したのだという。
そして、赤ん坊がまだ1歳になるかならないかのときに、スチュワートさんが殺人の疑いで逮捕されてしまった。グラスゴー市内の公衆トイレで、ピーター・スミスという男性を死に至らしめたという容疑だった。その公衆トイレは、ゲイ男性たちの出会いの場として知られていた。
Aさんは、そのときのことをこう振り返る。「本当にショックを受けました。スチュワートに人を殺せるはずがないと思いました。そりゃトラブルは絶えませんでしたが、いつも些細なことばかりでしたし」
しかし、真相はどうであれ、娘の実の父が殺人犯として囚われの身になったことは歴然たる事実だった。Aさんは、スチュワートさんが娘の実父であることを金輪際誰にも明かすまいと決心した。
それに、娘が生まれた後、Aさんは別の男性と交際を始めていた。その男性は、Aさんの娘を我が子のように可愛がってくれた。やがて、二人は籍を入れた。現在19歳になる娘が実父と信じて疑わないのは、その男性(前夫)である。
一方、スチュワートさんは1年以上続いた公判の末、有罪を宣告され、終身刑を言い渡された。その判決が下りて数週間後、Aさんのもとにスチュワートさんから一通の手紙が届いた。Aさんと娘に会いたくてたまらないという内容だった。
車椅子生活を送っている母親が彼にとって唯一の身寄りであることを知っていたAさんは、スチュワートさんのことが不憫になり、刑務所に面会に行くことを決めた。まだ物心ついていない幼い娘の姿を見たスチュワートさんは、本当に嬉しそうだった。
その後も数回にわたり、Aさんは娘を連れて面会に出向いた。Aさんは、スチュワートさんが仮釈放なしの終身刑に服していることを知っていた。それは、娘の実父が永久に塀の外に出て来られないことを意味していた。
娘も、いずれは物心つき始め、刑務所に面会に行ったことや、スチュワートさんの姿や仕草が記憶に残るようになる。娘の将来を考えると、いつまでもこんなことを続けているわけにはいかなかった。
Aさんは「もう面会には来ないし、手紙のやり取りなどにも応じない」とスチュワートさんに告げた。
男気のある気質は昔のままだった。「彼は、私が面会に来るのをやめる理由を十分に理解してくれました。彼は男らしく身を引いてくれました。こうして、彼は自分の唯一の子供と永遠に接触を絶たれてしまったのです」
ところが、Aさんと娘がスチュワートさんと最後に面会してから10年以上が経過した2000年のこと、Aさんの姉の家に1本の電話がかかってきた。なんと、スチュワートさんからの電話だった。むろん、刑務所の中から電話してきたわけではない。
Aさんにすれば、スチュワートさんの存在を今さら娘に知らせることだけは避けたかった。仮釈放のないはずのスチュワートさんが自由の身になっているという事実がこれから先、どのような事態に発展していくかを吟味している余裕などなかったようだ。
実はこのとき、スチュワートさんは仮釈放されたわけではなく、かといって脱走したわけでもなく、保釈されて自由の身になっていたのである。彼に仮釈放なしの終身刑を言い渡した判決が冤罪の疑いで差し戻されることになったためだった。
スチュワートさんは、そのことを説明した上で、Aさんと娘に会わせてほしいとAさんの姉に頼んできたのだった。Aさんからスチュワートさんに電話をかけなおし、「決して会うことはできない」と告げた。娘は別の男性のことを自分の父親と信じているのだ、と。
今回もスチュワートさんは男らしく引き下がった。ただし、ひとことだけ警告を残して。「やがていつか、あの子が真実を知る日が来る」
その言葉は正しかった。まだ現時点では、Aさんの娘は自分がスチュワートさんの遺産の相続人になっていることも知らず、スチュワートさんの存在自体も知らない。だが、まもなく遺産相続のための審査手続きが開始される。この手続きには、DNA親子鑑定も含まれる。
さて、スチュワートさんはどうして100万ポンド(約2億3千万円)もの遺産を残すことになったのだろうか? 簡単に言うと、冤罪で11年間も服役したことに対する賠償金である。
スチュワートさんは、スミスという男性の心臓を一突きにして死に至らしめたと断定されて有罪宣告を受けたのだが、実は彼には、犯行があった時刻に別の場所にいたというアリバイが存在していた。スチュワートさん自身、公判を通じて自分の無罪を訴え続けていたが、結局、過半数評決により終身刑が言い渡された。
スチュワートさんは服役が始まった後も無実を訴え続けていた。11年後の2000年になってようやく、スコットランド刑事事件再審査委員会が彼に対する判決を上訴裁判所に差し戻すことになったのである。
その時点で、彼は保釈扱いとなった(再審の結果、再び有罪になる可能性もあったから“無条件での釈放”ではなく“保釈”という形式になったわけである)。再審には6年もの時間を要したが、結局、2006年の7月、ついにスチュワートさんは無罪を勝ち取った。この冤罪は、「スコットランド史上最悪の誤審」とも評された。
かくしてスチュワート・ゲアさんは、完全に自由の身になり、多額の賠償金を受け取ることとなった。しかし彼の人生には長い空白があった。1988年に冤罪で捕まり、その後1989年から11年の長きにわたって服役の日々を過ごした。最後に愛した女性Aさん、そして彼女との愛の賜物であったはずの娘との接触を試みるも、むげに断られてしまった。
自由を勝ち得て、多額の賠償金も約束されたとはいえ、彼が外部から隔離されていた12年の歳月を元に戻すことはできない。自由になった後も、さぞかし孤独な日々を送っていたのではないだろうか。
彼の人生は先日、あっけなく幕を閉じてしまった。11月下旬のある日、スチュワートさんは突然の心臓発作に襲われ、そのまま帰らぬ人となったのである(享年43)。
スコットランドの誤審究明組織MOJO(Miscarriages of Justice Organisation)のスポークスマン、ジョン・マクマナス氏は、彼が受け取る予定だった賠償金の行方について、こう語った。「スチュワート・ゲアさんには、娘さんが1人いることがわかっています。彼が受け取る予定だった賠償金は、その娘さんが受け取ることになるでしょう。
「スチュワートさんは生前、その娘さんのことを私に話してくれました。財布の中に大事に仕舞ってある彼女の写真も見せてくれました」
スチュワートさんは、濡れ衣を着せられて11年の長きにわたり服役していたときも、ときどきその写真を取り出してきては、もう永遠に会えないはずの娘に切ない思いを馳せていたのだろう。
Daily Recordの独占取材を受けたAさんは、涙ながらにこう話している。「物事がもっと違う方向に進んでいたらよかったのに。スチュワートが服役するようなことにならなければよかったのに・・・。でも、今の暮らしで娘はちゃんと育ってきました。
「私は、娘を守りたい一心でした。どんな母親だって、正しい選択をして子供を守ろうとするのではないでしょうか。
「娘が賠償金の相続人になるということは、それだけスチュワートが娘のことを思い続けていたということなんでしょうね。今は実感も湧きませんが、そのお金が娘の将来を保証してくれることだろうと思います。
自由を求めたスチュワートの戦いが決して無為に終わらなかったことだけは確かだと思います」
なお、賠償金の金額を100万ポンドと示したが、実際の金額は明らかにされていない。その半分ほどになる可能性もある。それでも日本円で1億円を超えており、大金であることに変わりはない。
「やがていつか、あの子が真実を知る日が来る」というスチュワートさんの予言は的中した。遺産相続のための審査手続きが開始されれば、娘は否応なくスチュワートさんの存在を知ることになる。もっとも、スチュワートさんにしても、まさかこんな形で自分の予言が的中するとは予想だにしていなかっただろう。
彼が思い描いたのは、生きて娘に会うことだったに違いない。冤罪という究極の理不尽と戦って見事に勝利を収めた父として、安らかな気持ちで娘と語らう日が来ることを夢に見ていたはず。
Aさんにとっては、真相はどうであれ娘の実の父が終身刑の服役囚であるという現実をいかんともしがたかったのだろう。彼女の「自分は正しい選択をして子供を守ろうとしたのだ」という言葉がそのすべてを物語っている。その事実を隠し通すことが最善の選択だと判断したのだ。
しかし、スチュワートさんの冤罪が晴れた場合のことまでは、彼女の想定範囲に入っていなかった。スコットランドでは1999年から誤審の被害者への賠償金支払いが開始されたらしいのだが、Aさんはそういう新しい制度のことを知らなかったのだろう。
仮にスチュワートさんがこの世を去ることがなかったなら、彼は既に身の潔白が証明されており、何一つやましいことがないのだから、受け取った賠償金の一部を娘に贈与することなどを考えたのではないだろうか。そうなれば、いずれは娘が彼の存在を知ることになったはず。
一方、娘さんの方は、まもなく二重の意味での青天の霹靂にさらされることになるだろう。彼女がその衝撃をどう受け止め、どう消化していくかは予想がつかない。悪い方へ転ばないことを願いたい。獄中から娘を思い続けた父のためにも。
■ Source: Girl Inherits £1m From Jail Dad She Never Knew
【関連記事】
- 1890年制定の法律に基づき、15歳の少女が85歳になるまで(1937年から2007年まで)隔離施設暮らしを強いられる
- 生まれてすぐに引き離された双子姉妹が35年後に再会を果たし、自分たちが極秘実験の被験者だったことを知る
- 生き別れた娘と母が同じ美容室で働いていたのに互いに気づかず、10年の歳月が流れる
- 独房の壁に空けられた9センチの穴を通じて妊娠
この記事の先頭に戻る
トラックバックURL
この記事へのトラックバック
1. 【調査】映画を観て泣いたことありますか?に9割が「ある」 [ 超暇つぶしブログ ] 2007年12月02日 13:54
【調査】映画を観て泣いたことありますか?に9割が「ある」
母がその存在を隠し続けた獄中の父が18年後に無罪となり、19歳の娘に想定外の遺産2億円を残してこの世を去る
この記事へのコメント
1. Posted by 七誌 2007年12月02日 19:17
悲しい話だな
2. Posted by _ 2007年12月02日 21:11
でもこの男はただ単にふらついててたまたま冤罪になっただけだよな。
金が入ったからって今更父親面されてもな。
金が入ったからって今更父親面されてもな。
4. Posted by 2007年12月03日 16:05
どうしようもなく馬鹿な男だけど……
それでも身に余る不幸ではあるな。
それでも身に余る不幸ではあるな。
5. Posted by 2007年12月03日 16:34
日本じゃ冤罪でも、金もでやしねえ
6. Posted by 2007年12月07日 20:00
※2
父親は悪くねーんだからしょうがない。父親面されてもっていうけど、生まれたときくらいから刑務所にいりゃどうやったってムリじゃねーか。
つーか父親が刑務所にいることがそんなにショックなことか?母親がわりーよ。生きてるショックなことはある訳で、隠すよりもそれを乗り越える術を教えるべきだった。母親が守ったのは子供じゃない。
父親は悪くねーんだからしょうがない。父親面されてもっていうけど、生まれたときくらいから刑務所にいりゃどうやったってムリじゃねーか。
つーか父親が刑務所にいることがそんなにショックなことか?母親がわりーよ。生きてるショックなことはある訳で、隠すよりもそれを乗り越える術を教えるべきだった。母親が守ったのは子供じゃない。
7. Posted by 通りすがり 2007年12月08日 11:02
※5
母親が恐れたのは、殺人犯の娘と知られた際の世間の目じゃないか。
母親が恐れたのは、殺人犯の娘と知られた際の世間の目じゃないか。
8. Posted by なるっち 2007年12月08日 20:53
※5
父親は悪くない、って言うけど…
彼女(当時)の妊娠を知っても放蕩生活を続けてた時点でダメだと思う。
そこで腰を据えて結婚する、っていう選択肢を採れば
父親面どころか普通に「お父さん」だったかもしれないわけだし。
父親は悪くない、って言うけど…
彼女(当時)の妊娠を知っても放蕩生活を続けてた時点でダメだと思う。
そこで腰を据えて結婚する、っていう選択肢を採れば
父親面どころか普通に「お父さん」だったかもしれないわけだし。
9. Posted by 2007年12月08日 21:43
※5
普通にショックなことだろ。
普通にショックなことだろ。
10. Posted by 2007年12月08日 22:38
Aさんの気持ちからすると分からなくもない行動だったと思うけど…
なんというか、「何か失敗をしてしまったが、発覚を恐れて黙っていて、事態がややこしくなってしまった、というなんとも某国の厚生労働省」のような行動としか見えませんね。
でも、インタビューで反省の言葉がないようですね。
それが少し悲しい。
なんというか、「何か失敗をしてしまったが、発覚を恐れて黙っていて、事態がややこしくなってしまった、というなんとも某国の厚生労働省」のような行動としか見えませんね。
でも、インタビューで反省の言葉がないようですね。
それが少し悲しい。
11. Posted by 、 2007年12月11日 05:48
この母親はどうしようもなく糞野郎だな、
ひたすらに拒否し続けたのなら金も受け取るなよ、
都合のいいときだけ善人面したり子供を使って言い訳するなよ。
ひたすらに拒否し続けたのなら金も受け取るなよ、
都合のいいときだけ善人面したり子供を使って言い訳するなよ。
12. Posted by 2007年12月17日 00:32
※10
アホか。
受け取るのは娘だ。
しかも物心ついてない幼児でもない。
それだけいえばわかるよな?
アホか。
受け取るのは娘だ。
しかも物心ついてない幼児でもない。
それだけいえばわかるよな?
13. Posted by うに 2010年01月21日 00:58
ぐっと来てしまう。獄中で、娘を想っていたスチュワート氏の孤独…その理不尽な生涯がたまらなく切ない。ずっしりとした存在感が小説よりも手応えのある話だ。彼のことを考えたら、私も頑張れる気がする。うん。
14. Posted by find out here 2014年05月12日 07:20
electric smoker reviews なんでも評点:母がその存在を隠し続けた獄中の父が18年後に無罪となり、19歳の娘に想定外の遺産2億円を残してこの世を去る
15. Posted by 2015年01月07日 18:56
彼女が妊娠したのに放蕩生活って、くずやなぁ。