2007年10月21日
英国マージーサイド州ウィラル在住のデビッド・ガンベルさん(63歳)は、自分に22歳年上の姉がいたことを覚えていた。だが、そんなにはっきりとした記憶が残っていたわけではない。デビッドさんと兄のアランさんが姉ジーンさんの姿を最後に見たとき、2人はまだ幼い子供だった。
そのとき、姉は“収容施設”から一時帰宅を許されて家に帰ってきたのだった。収容施設の職員2人がものものしく姉に付き添っていた。
姉ジーン・ガンベルさんが収容施設送りになったのは、弟デビッド・ガンベルさんが生まれるより7年も前の1937年のことだった。ジーンさんは当時、清掃員として地元の診療所で働いていたが、半クラウン(12シリング6ペンス)コインを診療所からくすねた疑いで捕まった。
その疑いは実は濡れ衣だった。盗まれたはずのコインは、まもなく診療所内で発見されている。しかし、ジーンさんは取調べの結果、“精神薄弱”と判定されてしまった。これにより、1890年制定の「精神異常法(Lunacy Act)」がジーンさんに適用され、彼女は収容施設に送致されることになった。
最初にジーンさんが収容されたのは、チェシャー州マックルズフィールドのCranage Hall精神病院だった。ジーンさんが収容された後、何年もの間、父親が彼女を退院させてくれと働きかけていたようなのだが、ジーンさんの記録の保管に不備があったため、父親の要望がかなえられることはなかった。
ジーンさんも収容先で「自分には家族がいるので、家族のもとに帰らせてほしい」と何度も何度も訴えた。だが、誰も彼女の言葉を信じようとしない。それどころか、次から次へと異なる精神病院に転院させられた。
ジーンさんの両親は極貧の状態にあった。このため、後から生まれたデビッド&アラン兄弟は子供時代の大半を児童養護施設で送ることになる。こうして一家が離散してしまっている以上、ジーンさんに家族がいることを証明するすべは残されていなかった。
そして数十年もの歳月が流れた。デビッド&アラン兄弟も、すっかり年老いてしまった。自分たちには確かに姉がいたが、もうこの世にはいないだろうと思うようになった。
ところが、今年の9月になって、デビッドさんが住んでいる家に一通の郵便物が届く。デビッドさんは母親が暮らしていた古い家に住んでいる。郵便物の宛名は母の名前で、送り主はチェシャー州マックルズフィールドの老人ホームだった。
デビッドさんは、最初その郵便物を見たとき、どうせ高齢者向けのアンケートか何かだろうと思った。開封もせずにゴミ箱に捨てるつもりだった。だが、封筒の表の隅に驚くべき4文字が鉛筆書きされていることに気づく。
姉の名Jean(ジーン)の4文字が記されていたのだ。「まさか、姉が生きている?」デビッドさんは我が目を疑った。
デビッドさんは、送り主の老人ホームにすぐに電話を入れた。すると、老人ホーム側から驚くべき回答があった。「85歳のジーン・ガンベルさんなら、当院に入所中ですよ」
ただし、老人ホーム側の説明によると、ジーンさんは聴力を失っており、筆談でしか意思疎通ができない状態だという。そして、「ご面会になっても、たぶん彼女はあなたのことを思い出せないと思いますが・・・」と念を押した。
数日後、デビッドさんは兄アランさんとともに、老人ホームを訪れた。ホールで待っていると、向こうから小柄な老婦人が杖を突いて現れた。デビッド&アラン兄弟がおぼろげにしか面影を覚えていない姉ジーンの年老いた姿に違いなかった。
職員が言うように、姉は自分たちのことを誰だかわからないのだろうか? デビッド&アラン兄弟のそんな心配は、すぐに吹き飛んでしまう。ジーンさんは、2人の姿を見ると、すぐに大きな声で叫んだ。「アラン! デビッド!」
ジーンさんは弟たち2人の体に手を回し強く抱きしめた。3人の頬を涙が伝った。
アランさんは言う。「姉が何十年もの間、収容施設から出してもらえなかったのは、自分に家族がいることを証明できなかったからに違いありません。一番の問題は、誰一人として姉の言葉に耳を貸そうとしなかったことにあります」
チェシャー州マックルズフィールドの社会福祉局は、ジーン・ガンベルさんが70年もの長きにわたって自由を奪われた原因を解明するための調査を開始したとのことである。
15歳の少女が85歳まで幽閉生活を強いられたのだ。70年も前の1937年に下された“精神薄弱”という判定自体、怪しいものだろう。実際、ジーンさんは、数十年ぶりに再会したアランさんとデビッドさんを即座に自分の弟たちだと認識している。
70年もの長きにわたり、ジーンさんは心底歯がゆい思いに苛まれ続けてきたことだろう。当ブログでは、理不尽な話や歯がゆい話をこれまで何度も取り上げてきたが、ここまで理不尽で歯がゆい話は他に比類を見ない。
【追記】
本文中で“1890年制定の「精神異常法(Lunacy Act)」”と記したが、その後、この法律に関して調べてみたところ、最初の制定は1845年であり、1890年に改定されたものであることがわかった。
1845年のLunacy Actでは、精神に異常のある人たちを収容施設に隔離することが初めて定められた。これを受けて英国国内では、精神病院が続々と設立されたという。この法律が定められるまで、精神に異常があると判定された人たちは患者ではなく囚人として扱われていたらしい。
1845年、1890年のいずれのLunacy Actでも、学習障害と精神病をはっきり区別していなかったという。学習能力に顕著に問題のある人は、精神に異常があるとみなされ、収容施設に隔離されていたらしい。もしかするとジーンさんの場合も、これに近い状況だったのかもしれない。
日本では、1945年以前の法律がいまだに効力を持っていることは、ほとんどないはず。日本は、敗戦によりいったんリセットされた国である。
しかし、リセットされた経験のない英国では、19世紀以前に定められた法律がいまだに効力を持っていたり、最近になって見直されるまで効力を持っていたケースも多いようである。
そうそう、家族の存在を証明できなかったはずなのにジーンさんは一時帰宅を許されている。矛盾しているように思える。ジーンさんが家族の存在を訴えて無視されたのは、収容されてからもっと年月が経ってからのことだったのかもしれない。
■ Source: Falsely accused woman freed after 70 years
【関連記事】
姉ジーン・ガンベルさんが収容施設送りになったのは、弟デビッド・ガンベルさんが生まれるより7年も前の1937年のことだった。ジーンさんは当時、清掃員として地元の診療所で働いていたが、半クラウン(12シリング6ペンス)コインを診療所からくすねた疑いで捕まった。
その疑いは実は濡れ衣だった。盗まれたはずのコインは、まもなく診療所内で発見されている。しかし、ジーンさんは取調べの結果、“精神薄弱”と判定されてしまった。これにより、1890年制定の「精神異常法(Lunacy Act)」がジーンさんに適用され、彼女は収容施設に送致されることになった。
最初にジーンさんが収容されたのは、チェシャー州マックルズフィールドのCranage Hall精神病院だった。ジーンさんが収容された後、何年もの間、父親が彼女を退院させてくれと働きかけていたようなのだが、ジーンさんの記録の保管に不備があったため、父親の要望がかなえられることはなかった。
ジーンさんも収容先で「自分には家族がいるので、家族のもとに帰らせてほしい」と何度も何度も訴えた。だが、誰も彼女の言葉を信じようとしない。それどころか、次から次へと異なる精神病院に転院させられた。
ジーンさんの両親は極貧の状態にあった。このため、後から生まれたデビッド&アラン兄弟は子供時代の大半を児童養護施設で送ることになる。こうして一家が離散してしまっている以上、ジーンさんに家族がいることを証明するすべは残されていなかった。
そして数十年もの歳月が流れた。デビッド&アラン兄弟も、すっかり年老いてしまった。自分たちには確かに姉がいたが、もうこの世にはいないだろうと思うようになった。
ところが、今年の9月になって、デビッドさんが住んでいる家に一通の郵便物が届く。デビッドさんは母親が暮らしていた古い家に住んでいる。郵便物の宛名は母の名前で、送り主はチェシャー州マックルズフィールドの老人ホームだった。
デビッドさんは、最初その郵便物を見たとき、どうせ高齢者向けのアンケートか何かだろうと思った。開封もせずにゴミ箱に捨てるつもりだった。だが、封筒の表の隅に驚くべき4文字が鉛筆書きされていることに気づく。
姉の名Jean(ジーン)の4文字が記されていたのだ。「まさか、姉が生きている?」デビッドさんは我が目を疑った。
デビッドさんは、送り主の老人ホームにすぐに電話を入れた。すると、老人ホーム側から驚くべき回答があった。「85歳のジーン・ガンベルさんなら、当院に入所中ですよ」
ただし、老人ホーム側の説明によると、ジーンさんは聴力を失っており、筆談でしか意思疎通ができない状態だという。そして、「ご面会になっても、たぶん彼女はあなたのことを思い出せないと思いますが・・・」と念を押した。
数日後、デビッドさんは兄アランさんとともに、老人ホームを訪れた。ホールで待っていると、向こうから小柄な老婦人が杖を突いて現れた。デビッド&アラン兄弟がおぼろげにしか面影を覚えていない姉ジーンの年老いた姿に違いなかった。
職員が言うように、姉は自分たちのことを誰だかわからないのだろうか? デビッド&アラン兄弟のそんな心配は、すぐに吹き飛んでしまう。ジーンさんは、2人の姿を見ると、すぐに大きな声で叫んだ。「アラン! デビッド!」
ジーンさんは弟たち2人の体に手を回し強く抱きしめた。3人の頬を涙が伝った。
アランさんは言う。「姉が何十年もの間、収容施設から出してもらえなかったのは、自分に家族がいることを証明できなかったからに違いありません。一番の問題は、誰一人として姉の言葉に耳を貸そうとしなかったことにあります」
チェシャー州マックルズフィールドの社会福祉局は、ジーン・ガンベルさんが70年もの長きにわたって自由を奪われた原因を解明するための調査を開始したとのことである。
15歳の少女が85歳まで幽閉生活を強いられたのだ。70年も前の1937年に下された“精神薄弱”という判定自体、怪しいものだろう。実際、ジーンさんは、数十年ぶりに再会したアランさんとデビッドさんを即座に自分の弟たちだと認識している。
70年もの長きにわたり、ジーンさんは心底歯がゆい思いに苛まれ続けてきたことだろう。当ブログでは、理不尽な話や歯がゆい話をこれまで何度も取り上げてきたが、ここまで理不尽で歯がゆい話は他に比類を見ない。
はがゆさ10 | ■■■■■■■■■■ |
【追記】
本文中で“1890年制定の「精神異常法(Lunacy Act)」”と記したが、その後、この法律に関して調べてみたところ、最初の制定は1845年であり、1890年に改定されたものであることがわかった。
1845年のLunacy Actでは、精神に異常のある人たちを収容施設に隔離することが初めて定められた。これを受けて英国国内では、精神病院が続々と設立されたという。この法律が定められるまで、精神に異常があると判定された人たちは患者ではなく囚人として扱われていたらしい。
1845年、1890年のいずれのLunacy Actでも、学習障害と精神病をはっきり区別していなかったという。学習能力に顕著に問題のある人は、精神に異常があるとみなされ、収容施設に隔離されていたらしい。もしかするとジーンさんの場合も、これに近い状況だったのかもしれない。
日本では、1945年以前の法律がいまだに効力を持っていることは、ほとんどないはず。日本は、敗戦によりいったんリセットされた国である。
しかし、リセットされた経験のない英国では、19世紀以前に定められた法律がいまだに効力を持っていたり、最近になって見直されるまで効力を持っていたケースも多いようである。
そうそう、家族の存在を証明できなかったはずなのにジーンさんは一時帰宅を許されている。矛盾しているように思える。ジーンさんが家族の存在を訴えて無視されたのは、収容されてからもっと年月が経ってからのことだったのかもしれない。
■ Source: Falsely accused woman freed after 70 years
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この記事へのコメント
1. Posted by こりん 2007年10月21日 22:28
そんなことで一人の人間の一生の大半を奪うなんて………まるで誤審で終身刑に処せられたかのようです。
ひどい話です。
ひどい話です。
2. Posted by ・ 2007年10月22日 02:37
死ぬ前に家族に会えたのは、何かの思し召しかもしれんね。生きてる間に明るみに出た事が慰めか・・・
3. Posted by 、 2007年10月22日 02:50
見方を変えれば拉致監禁
収容施設の仕組みが気になるところだ。沢山隔離させて働かせてたりな
精神病院が民営だったりしてな
収容施設の仕組みが気になるところだ。沢山隔離させて働かせてたりな
精神病院が民営だったりしてな
4. Posted by 名無し 2007年10月22日 08:19
胸糞悪い。
ひどすぎるだろこれは。
ひどすぎるだろこれは。
5. Posted by 通りすがり 2007年10月22日 11:50
>日本では、1945年以前の法律がいまだに効力を持っていることは、ほとんどないはず。日本は、敗戦によりいったんリセットされた国である。
つい最近まで効力があった事例を。
やはり隔離政策の根拠法ですが。
昭和6年(1931) 「癩予防法」制定
昭和28年(1953) 「らい予防法」に改正
平成8年(1996) 「らい予防法」廃止
つい最近まで効力があった事例を。
やはり隔離政策の根拠法ですが。
昭和6年(1931) 「癩予防法」制定
昭和28年(1953) 「らい予防法」に改正
平成8年(1996) 「らい予防法」廃止
6. Posted by これは… 2007年10月22日 12:20
長生きはするもんだな。
失った時間は取り戻せないが…。
失った時間は取り戻せないが…。
7. Posted by ノルン 2007年10月22日 15:14
ひどすぎる。
この方の人生は誰のためのものだったんだろう。
この方の人生は誰のためのものだったんだろう。
8. Posted by Posted by 2007年10月22日 16:11
>>7
自分のような存在を二度と出さないための
犠牲・・・だな。
自分のような存在を二度と出さないための
犠牲・・・だな。
9. Posted by 2007年10月22日 19:40
どこの後進国?と思ったらイギリス・・
10. Posted by 2007年10月22日 21:02
>日本では、1945年以前の法律がいまだに効力を持っていることは、ほとんどないはず。日本は、敗戦によりいったんリセットされた国である。
うるう年を定める法律は明治に制定されたものをいまだに使っていますよ。
うるう年を定める法律は明治に制定されたものをいまだに使っていますよ。
11. Posted by 2007年10月23日 01:07
>日本では、1945年以前の法律がいまだに効力を持っていることは、ほとんどないはず。日本は、敗戦によりいったんリセットされた国である。
民法は、明治29年制定です。
民法は、明治29年制定です。
12. Posted by ぬる 2007年10月23日 01:07
決闘罪なんかは今でも有効ですね。
先日(と言っても随分前ですが)、少年たちの喧嘩で適用されて新聞などで随分話題になりました。
先日(と言っても随分前ですが)、少年たちの喧嘩で適用されて新聞などで随分話題になりました。
13. Posted by 2007年10月24日 04:21
日本もそう大して変わらんだろ。
精神科なんてどこもいい加減。
精神科なんてどこもいい加減。
14. Posted by たそがれ 2007年10月25日 22:37
皆さん指摘のように、戦前の法律で現行法のものは結構ありますよ。
改正を含めたものなら、主要六法は民訴・憲法を除いてすべて明治期のものです。
場合によっては、憲法も大日本帝国憲法の改正ともいえるので、数は多いですね。
最近廃止されたものでは、監獄法などもありましたね。
でも、戦後に作られたものがもっと多いのは間違いありません。
この事例では、損害賠償がいくらになるのか。とても気になります。
改正を含めたものなら、主要六法は民訴・憲法を除いてすべて明治期のものです。
場合によっては、憲法も大日本帝国憲法の改正ともいえるので、数は多いですね。
最近廃止されたものでは、監獄法などもありましたね。
でも、戦後に作られたものがもっと多いのは間違いありません。
この事例では、損害賠償がいくらになるのか。とても気になります。