2007年02月09日
米国テキサス州ダラスで、2006年の秋のある日のこと、いつものように2匹の犬を連れて散歩に出た男性が突然、記憶を失った。自分の名前も、家への道順も、家の住所も電話番号も、自分がいったい誰なのかも、その他自分自身に関するあらゆる記憶をすべて忘れてしまった。この話を伝えているAPの記事は、「あたかも彼の脳のハードドライブから全データが消去されたかのようだった」と表現している。
突然記憶を喪失したのは、ジョー・ビーガーさんという59歳の男性。生徒数400名のローマンカトリック系ハイスクールで体育局副部長をしている教育者であり、家族みんなに愛される夫であり、父であり、祖父だった。そんなビーガーさんがいつまで経っても散歩から戻らないことを心配した家族が散歩コースを捜索すると、2匹の犬だけが見つかった。ビーガーさんは、その後25日もの間、ダラス近郊を彷徨う日々を送ることになる。
本稿後半で詳しく書くことになるが、ビーガーさんの身に起こったことは、われわれの身にも起こりうることである。ビーガーさんの脳に何らかの物理的病変(アルツハイマー病など)があったから記憶を失ったわけではない。頭に衝撃を受けたから記憶を失ったわけでもない。“記憶を喪失した”と言うよりは、「自分を失った」もしくは「別の自分になった」と表現した方がわかりやすいかもしれない。
■ 彷徨の日々のおぼろげな記憶
ビーガーさんは、失踪から25日後の2006年10月30日に無事発見された。それから約3ヶ月後の今年1月下旬にAPのインタビューに応じている。学校にもすでに復職を果たしている。25日間にわたって無断欠勤したことになるが、不可抗力による欠勤として扱われたようである。
ビーガーさんは、ダラスおよびその近郊の町を25日もの間、あてどもなく放浪し続けていた。だがその間のことは、おぼろげにしか思い出すことができない。
ダラスおよびその周辺は、米国でも犯罪発生率が特に高い地域である。自分がどこの誰かを忘れたビーガーさんが、そんな危険な場所で25日間、事件にも事故にも巻き込まれずに生き抜くことができたのは幸運である。彼は、警官に職務質問に遭い、所持品検査を受けたことを覚えている。
公園の地面の上で眠っていて、寒くて目を覚ましたことも覚えている。10月に入って気温は10℃にまで下がっていたが、彼は、記憶を失った日と同じ着の身着のままの半パンにTシャツという姿だった。建設機械を運ぶトレーラーの下で目を覚ましたことも覚えている。
だが、他のことは、ほとんど思い出せない。いったい何を食べて生きていたのかさえ、彼には思い出せない。発見時、彼のポケットの中には、ファーストフード店のジャムの小袋と、かちかちになったベーグルパン半切れが入っていた。
■ 捜索
ビーガーさんが失踪した直後から、ビーガーさんの友人、学校関係者、その他おおぜいのボランティアが捜索チームを結成して、ビーガーさんの捜索を開始した。だが、最初の2週間近くは何の手がかりも得られず、ビーガーさんの足取りはようとしてつかめなかった。
ビーガーさんの捜索に協力した人の数は数百人にも上る。町の中、街路や路地、病院、ホームレス施設、スープキッチン(貧困者のための給食施設)などを大勢の人たちが捜索した。
捜索チームのリーダー役を務めたデーナ・エームズさんは言う。「われわれは、(彼が記憶を失くしていても)彼の知性自体は無事であることを知っていました。彼には生き抜く力があり、彼が見つかるのは時間の問題だと信じていました」
そして、およそ2週間が経過したころ、捜索チームのメンバーが何人かのホームレスの人たちにビーガーさんの写真を見せたところ、よく似た人を見かけたという証言が得られた。目撃場所は、ビーガーさん宅のごく近くだった。
ビーガーさんがその後数日の間に交通量の多い街路や州間高速道路を横切ってダラス近郊のプラノの町まで移動したことを示す目撃証言が得られた。プラノにたどり着いてまもなく、教会のカーニバルに姿を現したところを目撃されたのである。
教会の管理責任のグウェン・ブルーク氏によると、鍵を失くしたと言う男性が現れて、教会の庭の草むらの中に落としたかもしれないので探してもよいかと許可を求めてきたという。
ブルーク氏は言う。「別に不審な人物には見えませんでした。近くで働いている建設作業員だろうと思っていました」
■ 発見
失踪から25日が過ぎた2006年10月30日、ダラスから32キロ離れたカロルトンの町でビーガーさんがついに発見された。彼を発見したのは、付近で新築家屋の建築現場を監督していたマイク・フィリプスさん。フィリプスさんは、自分の目の前にいる男性が本当にビーガーさんなのかどうか確信を持てなかった。そこで、「ジョー!ジョー!」と大きな声を出して呼び止めてみた。
すると、ビーガーさんと思しき男性が足を止めた。「やはり、あなたのファーストネームはジョーですか?」と声をかけると、「そう言えば自分の名前はジョーだったような気がする」という返答だった。
「じゃあ、ラストネームは?」とフィリプスさんが尋ねると、「わからない、思い出せない」という返答。
その男性はジョー・ビーガーさん本人だったのだが、フィリプスさんに声をかけられた時点では自分がジョー・ビーガーであることを完全に忘れていた。だが、ビーガーさんはフィリプスさんと話をしているうちに、徐々にゆっくりと記憶を取り戻していった。ジョー・ビーガーとしての記憶が戻るまでに2時間を要したという。
ビーガーさんは、後にこう話している。「瞬時に記憶が戻ったわけではありません。時間が経つにつれて自分が何者であったかを思い出していったのです」
■ 彼の身に起こったこと
発見されたとき、ビーガーさんは白い髭が伸び放題で、ズック靴の底には穴が空いていた。とても教育者には見えない風体だった。体重も11キロ減っていた。
ビーガーさんは、失踪するまでのすべての記憶を取り戻した。自分の人生、家族、仕事など、あらゆる記憶が蘇り、元どおりの自分自身に戻った。だが、失踪の朝、犬を連れて散歩に出た後のことは、上記のようにほとんど思い出せない。
自分自身に戻った後、数百人もの人たちが自分の捜索に奔走していたことに何より驚かされたという。彼は言う。「誰しも、神が私を戻らせたと信じているはずです。戻らないといけない理由があったからです。もしそうでなかったら、まったく違う結果になっていたかもしれない。私が再び教育現場に戻ることを神が望まれたのです」
姿を消す前の9月に、ビーガーさんは、ごく数時間、自分が何をしていたかを忘れてしまう“健忘”の症状を2回ほど呈していた。それゆえ、37年間連れ添った妻のパトリシアさんは、彼が姿を消したときに、彼の身に何が起こったかを察することができた。(捜索チームが「ビーガーさんの知性自体は無事だ」と見ていたのは、このためである)。
ビーガーさんは、行方不明になっている間、解離性障害の1つである解離性遁走(心因性遁走)の症状に陥っていたと診断されている。解離性障害とは、心的外傷への自己防衛として、自己同一性を失う神経症の一種である(Wikipediaより)。
『メルクマニュアル家庭版』には、解離性遁走に関して以下のような説明がある。
解離性障害には、“多重人格”として知られる解離性同一性障害も含まれる。解離性遁走においても、遁走の最中は、本人の自己同一性が失われ、別の人格に置き換わっている。解離性障害について分かりやすく説明している「解離性障害と生きる」というサイトには、次のような記述がある。
それゆえ、ビーガーさんを目撃した境界の管理責任者は、ビーガーさんに特に不審なものを感じなかったのだろう。
解離性遁走の引き金となるのは、強いストレスや心的外傷だという。そのストレスから逃げ出すために自己同一性を失って“遁走”してしまう。誰にでも起こりうることだが、ごく稀にしか起こらない。さらに、このような症状が起きやすい人とそうでない人がいる。
皆に尊敬される教育者であるビーガーさんが遁走に至るまでにどのようなストレスを抱えていたかは、ソースにも記されていない。
ただ、注目すべきは、周囲の人たちが“解離性遁走”なる症状に深い理解を示していたという点である。日本で同じようなことが起きた場合、周りの人たちがここまでサポートしてくれるものだろうか?
★ ★ ★
なんとも“評点”を付けづらい話である。これに関連する個人的な体験を持ち出して締めくくるとしよう。
筆者の知り合いに、解離性同一性障害と診断されている人がいたことがある。その人の人格が変わる瞬間を見たことはないが、本人からいろいろ話を聞いた。その人は、治療を受けていて、すでにかなり症状が改善されたと話していた。
また、解離性遁走としか説明できない行動をしばしば取る人も、友人や知り合いに何人かいた。仕事関係でも、そんな社長がいて困らされたことがある。
そして私自身、ときどき記憶がブラックアウトすることがある。もちろん、それはアルコールの摂取に伴うものだ。しかし、それとは別に、子供のころから、少し前のごく短い時間の自分の行動を思い出せなくなることがよくあった。今でも、携帯電話をどこに置いたか分からなくなって探し回ったりすることがよくある。解離性健忘に近い症状だったりするのかもしれない。
また、私は小学校1年生のころに絵の才能があるといわれて、絵の先生のところに通わされていたことがある。1年ほどでやめたらしい。親によると、先生との相性がかなり悪かったらしい。
しかし、その間の記憶を一切思い出すことができない。大昔のことだから思い出せなくなったというわけではなくて、小学校3年くらいの時点で、すでに絵のレッスンに関する全記憶が消失していた。さらに、絵がとてつもなく下手になってしまった。
ただ、何となく覚えていることがある。絵を習いに行かされること自体に、かなり抵抗感を覚えていた。幼いながらも画家になりたいと思ったことはなく、科学者になりたいと思っていた。ゆえに、絵の先生のところに通わされたのは、非常に“ありがた迷惑”だった。
■ Source: Amnesia Victim Wandered for 25 Days
【関連記事】
本稿後半で詳しく書くことになるが、ビーガーさんの身に起こったことは、われわれの身にも起こりうることである。ビーガーさんの脳に何らかの物理的病変(アルツハイマー病など)があったから記憶を失ったわけではない。頭に衝撃を受けたから記憶を失ったわけでもない。“記憶を喪失した”と言うよりは、「自分を失った」もしくは「別の自分になった」と表現した方がわかりやすいかもしれない。
■ 彷徨の日々のおぼろげな記憶
ビーガーさんは、失踪から25日後の2006年10月30日に無事発見された。それから約3ヶ月後の今年1月下旬にAPのインタビューに応じている。学校にもすでに復職を果たしている。25日間にわたって無断欠勤したことになるが、不可抗力による欠勤として扱われたようである。
ビーガーさんは、ダラスおよびその近郊の町を25日もの間、あてどもなく放浪し続けていた。だがその間のことは、おぼろげにしか思い出すことができない。
ダラスおよびその周辺は、米国でも犯罪発生率が特に高い地域である。自分がどこの誰かを忘れたビーガーさんが、そんな危険な場所で25日間、事件にも事故にも巻き込まれずに生き抜くことができたのは幸運である。彼は、警官に職務質問に遭い、所持品検査を受けたことを覚えている。
公園の地面の上で眠っていて、寒くて目を覚ましたことも覚えている。10月に入って気温は10℃にまで下がっていたが、彼は、記憶を失った日と同じ着の身着のままの半パンにTシャツという姿だった。建設機械を運ぶトレーラーの下で目を覚ましたことも覚えている。
だが、他のことは、ほとんど思い出せない。いったい何を食べて生きていたのかさえ、彼には思い出せない。発見時、彼のポケットの中には、ファーストフード店のジャムの小袋と、かちかちになったベーグルパン半切れが入っていた。
■ 捜索
ビーガーさんが失踪した直後から、ビーガーさんの友人、学校関係者、その他おおぜいのボランティアが捜索チームを結成して、ビーガーさんの捜索を開始した。だが、最初の2週間近くは何の手がかりも得られず、ビーガーさんの足取りはようとしてつかめなかった。
ビーガーさんの捜索に協力した人の数は数百人にも上る。町の中、街路や路地、病院、ホームレス施設、スープキッチン(貧困者のための給食施設)などを大勢の人たちが捜索した。
捜索チームのリーダー役を務めたデーナ・エームズさんは言う。「われわれは、(彼が記憶を失くしていても)彼の知性自体は無事であることを知っていました。彼には生き抜く力があり、彼が見つかるのは時間の問題だと信じていました」
注:ビーガーさんの知性が無事だと彼らが判断したのは、ビーガーさんが姿を消した時点で、彼の身に何が起こったかを皆が知っていたことを意味する。これについては、下の「彼の身に起こったこと」の項で詳しく述べる。
そして、およそ2週間が経過したころ、捜索チームのメンバーが何人かのホームレスの人たちにビーガーさんの写真を見せたところ、よく似た人を見かけたという証言が得られた。目撃場所は、ビーガーさん宅のごく近くだった。
ビーガーさんがその後数日の間に交通量の多い街路や州間高速道路を横切ってダラス近郊のプラノの町まで移動したことを示す目撃証言が得られた。プラノにたどり着いてまもなく、教会のカーニバルに姿を現したところを目撃されたのである。
教会の管理責任のグウェン・ブルーク氏によると、鍵を失くしたと言う男性が現れて、教会の庭の草むらの中に落としたかもしれないので探してもよいかと許可を求めてきたという。
ブルーク氏は言う。「別に不審な人物には見えませんでした。近くで働いている建設作業員だろうと思っていました」
■ 発見
失踪から25日が過ぎた2006年10月30日、ダラスから32キロ離れたカロルトンの町でビーガーさんがついに発見された。彼を発見したのは、付近で新築家屋の建築現場を監督していたマイク・フィリプスさん。フィリプスさんは、自分の目の前にいる男性が本当にビーガーさんなのかどうか確信を持てなかった。そこで、「ジョー!ジョー!」と大きな声を出して呼び止めてみた。
すると、ビーガーさんと思しき男性が足を止めた。「やはり、あなたのファーストネームはジョーですか?」と声をかけると、「そう言えば自分の名前はジョーだったような気がする」という返答だった。
「じゃあ、ラストネームは?」とフィリプスさんが尋ねると、「わからない、思い出せない」という返答。
その男性はジョー・ビーガーさん本人だったのだが、フィリプスさんに声をかけられた時点では自分がジョー・ビーガーであることを完全に忘れていた。だが、ビーガーさんはフィリプスさんと話をしているうちに、徐々にゆっくりと記憶を取り戻していった。ジョー・ビーガーとしての記憶が戻るまでに2時間を要したという。
ビーガーさんは、後にこう話している。「瞬時に記憶が戻ったわけではありません。時間が経つにつれて自分が何者であったかを思い出していったのです」
■ 彼の身に起こったこと
発見されたとき、ビーガーさんは白い髭が伸び放題で、ズック靴の底には穴が空いていた。とても教育者には見えない風体だった。体重も11キロ減っていた。
ビーガーさんは、失踪するまでのすべての記憶を取り戻した。自分の人生、家族、仕事など、あらゆる記憶が蘇り、元どおりの自分自身に戻った。だが、失踪の朝、犬を連れて散歩に出た後のことは、上記のようにほとんど思い出せない。
自分自身に戻った後、数百人もの人たちが自分の捜索に奔走していたことに何より驚かされたという。彼は言う。「誰しも、神が私を戻らせたと信じているはずです。戻らないといけない理由があったからです。もしそうでなかったら、まったく違う結果になっていたかもしれない。私が再び教育現場に戻ることを神が望まれたのです」
姿を消す前の9月に、ビーガーさんは、ごく数時間、自分が何をしていたかを忘れてしまう“健忘”の症状を2回ほど呈していた。それゆえ、37年間連れ添った妻のパトリシアさんは、彼が姿を消したときに、彼の身に何が起こったかを察することができた。(捜索チームが「ビーガーさんの知性自体は無事だ」と見ていたのは、このためである)。
ビーガーさんは、行方不明になっている間、解離性障害の1つである解離性遁走(心因性遁走)の症状に陥っていたと診断されている。解離性障害とは、心的外傷への自己防衛として、自己同一性を失う神経症の一種である(Wikipediaより)。
『メルクマニュアル家庭版』には、解離性遁走に関して以下のような説明がある。
解離性とん走とは、何の前触れもなしに突然、目的をもって家から飛び出し(とん走)、その間はそれまでの人生の一部または全部を思い出せないという障害です。
米国では、解離性とん走はおよそ1000人に2人の割合で起こります。戦争、事故、自然災害などを体験した人に多くみられます。
(中略)
とん走の期間は数時間の場合もあれば、数週間、数カ月間と続いたり、さらに長期にわたるケースもあります。とん走状態のときは、普段の自己同一性を失ったまま、家族や仕事を残して姿を消してしまいます。とん走期間が短い場合は職場に遅刻して現れたり帰宅が遅くなる程度で済みますが、混乱した状態にあると、医療関係者や当局の目にとまる場合もあります。とん走が数日間かそれ以上続く場合は、自宅から遠く離れた土地へ行き、自分の人生の変化に気づかぬまま、別の自我をもった人間として新しい仕事を始めることがあります。とん走期間中、本人には特に変わった様子はないため、人の注意を引くことはありません。しかし、ある時点で記憶を失っていること(健忘)を自覚し、自己の同一性について混乱を来すこともあります。
【引用元】http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec07/ch106/ch106c.html
解離性障害には、“多重人格”として知られる解離性同一性障害も含まれる。解離性遁走においても、遁走の最中は、本人の自己同一性が失われ、別の人格に置き換わっている。解離性障害について分かりやすく説明している「解離性障害と生きる」というサイトには、次のような記述がある。
遁走状態での旅は、目的の無い彷徨の形をとることもありますが、たいていは合目的的であるようにみえますし、公共の交通手段を利用することがあってもおかしくありません。偶然見かけた人はその人の行動に何の奇妙な点をも認めないのが普通です。
【引用元】http://dissociation.xrea.jp/disorder/dissociation/disorder_dissociation_kenbo.html
それゆえ、ビーガーさんを目撃した境界の管理責任者は、ビーガーさんに特に不審なものを感じなかったのだろう。
解離性遁走の引き金となるのは、強いストレスや心的外傷だという。そのストレスから逃げ出すために自己同一性を失って“遁走”してしまう。誰にでも起こりうることだが、ごく稀にしか起こらない。さらに、このような症状が起きやすい人とそうでない人がいる。
皆に尊敬される教育者であるビーガーさんが遁走に至るまでにどのようなストレスを抱えていたかは、ソースにも記されていない。
ただ、注目すべきは、周囲の人たちが“解離性遁走”なる症状に深い理解を示していたという点である。日本で同じようなことが起きた場合、周りの人たちがここまでサポートしてくれるものだろうか?
なんとも“評点”を付けづらい話である。これに関連する個人的な体験を持ち出して締めくくるとしよう。
筆者の知り合いに、解離性同一性障害と診断されている人がいたことがある。その人の人格が変わる瞬間を見たことはないが、本人からいろいろ話を聞いた。その人は、治療を受けていて、すでにかなり症状が改善されたと話していた。
また、解離性遁走としか説明できない行動をしばしば取る人も、友人や知り合いに何人かいた。仕事関係でも、そんな社長がいて困らされたことがある。
そして私自身、ときどき記憶がブラックアウトすることがある。もちろん、それはアルコールの摂取に伴うものだ。しかし、それとは別に、子供のころから、少し前のごく短い時間の自分の行動を思い出せなくなることがよくあった。今でも、携帯電話をどこに置いたか分からなくなって探し回ったりすることがよくある。解離性健忘に近い症状だったりするのかもしれない。
また、私は小学校1年生のころに絵の才能があるといわれて、絵の先生のところに通わされていたことがある。1年ほどでやめたらしい。親によると、先生との相性がかなり悪かったらしい。
しかし、その間の記憶を一切思い出すことができない。大昔のことだから思い出せなくなったというわけではなくて、小学校3年くらいの時点で、すでに絵のレッスンに関する全記憶が消失していた。さらに、絵がとてつもなく下手になってしまった。
ただ、何となく覚えていることがある。絵を習いに行かされること自体に、かなり抵抗感を覚えていた。幼いながらも画家になりたいと思ったことはなく、科学者になりたいと思っていた。ゆえに、絵の先生のところに通わされたのは、非常に“ありがた迷惑”だった。
ありがた迷惑さ9 | ■■■■■■■■■□ |
■ Source: Amnesia Victim Wandered for 25 Days
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1. 散歩中に記憶を失って、25日間も放浪を続けた男性 他 [ 風風書堂‐ニュースログ‐ ] 2007年02月09日 21:31
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この記事へのコメント
1. Posted by mgm 2007年02月09日 22:03
大小はあれど、記憶の消失は誰もが持ってる要素なんでしょうね…
「人は忘れることで生きていける」と、何かの小説で読みましたが、記事を読んでなるほどなと思いました。
「人は忘れることで生きていける」と、何かの小説で読みましたが、記事を読んでなるほどなと思いました。
2. Posted by POSTMAN 2007年02月09日 23:00
知り合いの学校関係者から聞いた話ですが、いわゆる問題教師に教わっているクラス、あるいは学年では、絵がとてつもなく下手になるそうです。
6年生ぐらいだと、アニメキャラクターなどうまく描く子が結構いるものですが、問題教師がいると、これが見事に一クラスや学年単位で、一年生の絵か? というぐらいまで退行するそうです。
6年生ぐらいだと、アニメキャラクターなどうまく描く子が結構いるものですが、問題教師がいると、これが見事に一クラスや学年単位で、一年生の絵か? というぐらいまで退行するそうです。
3. Posted by 2007年02月11日 10:15
教会→境界
になってる所がありますよ。
になってる所がありますよ。
4. Posted by イースト・ロンリー 2012年10月06日 17:59
私の息子も乖離性遁走と診断され今も行方不明中
です。先日警察からよく似た遺体が海で発見され
たとの連絡を受けましたが別人でした。行方不明
になって20日目です。心配でたまりません。
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16. Posted by 18歳 学生 2014年07月17日 05:20
未だに、1年前のまる1日の記憶は失われたままです。至って健康な状態だったにも関わらず。
その翌日は、前日のことを全く覚えていないので大変困りました。
「昨日の記憶がない」なんて、頭のおかしいこと言えませんでしたし笑
その翌日は、前日のことを全く覚えていないので大変困りました。
「昨日の記憶がない」なんて、頭のおかしいこと言えませんでしたし笑