2004年08月31日
「当方元音楽教師。じいちゃんがほしい家庭からの連絡乞う。毎月の謝礼あり」ローマ郊外で暮らしている独居老人のジオルジオ・アンジェロッツィさんは、先日、こんな三行広告を新聞に出した。
アンジェロッツィさんは79歳。定年まではクラシック音楽の教師をしていた。1992年に妻に先立たれてからは7匹のネコたちと暮らしている。
この三行広告に予想外の大反響があった。アンジェロッツィさんをおじいちゃんとして迎え入れたいという多数の申し出があったのだ。元音楽教師なら、子供や孫に音楽を教えてくれるのではないかと期待している人が多いという。それに、毎月日本円で10万円相当の謝礼金というのも魅力なのだろう。
連絡をくれた人の中には、アンジェロッツィさん自身のかつての教え子アントネーロ・ベンディッティも含まれていた。アントネーロ・ベンディッティはイタリアでは有名なポピュラー歌手なのである。
「ここまで多くの人たちが私に関心を持ってくれて、ここまで暖かい反応を示してくれるとは予想もしていませんでしたよ」とアンジェロッツィさんは語っている。「でも、忘れてはならないのは、このように寂しい一人暮らしを強いられている老人は、私以外に大勢イタリアにいるという事実です」
かつてのイタリアは、家庭が社会の中心的としての役割を担っていることで知られていた。しかし、近年では、離婚率が増加したり、転勤などで転居を繰り返す家庭が増えたりしたことにより、老人が一人残されることが多くなってきている。
イタリアには、7月や8月になると、その暑さのためにドラッグストアや食料品店が休業し、基本サービスが削減される都市がいくつもある。イタリアが猛暑に襲われた2003年の夏には、4千175人もの老人が死亡したが、その多くはそれらの都市で一人暮らしをしており、たった一人で灼熱地獄に耐え抜かねばならなかった老人たちだったという。
さて、ネタ元の英語記事では、「じいちゃんがほしい家庭」は「family willing to adopt grandfather」となっていた。英語のadoptには、養子にするという意味がある。しかし養子にするのであれば、adopt a child でないとロジックが成立しない。「老人をおじいちゃんとして養子にする」では意味をなさない。
これは一種の逆説的表現のようである。法的にadoptするという意味ではないようだ。
試しにadopt a grandfatherでググってみると、いくつかヒットがあった。そのうち目を引いたのが下記の記事。
これもネタ元記事と同じくイタリアの新聞に載った三行広告を英語化したものなのだが、アンジェロッツィさんとは逆の立場からの求人である。広告主の男性は、自分の家族のおじいちゃんになってくれる老人を探しているのだ。
赤の他人をおじいちゃん(あるいはおばあちゃん)として家庭に迎え入れ、生活を共にすることを望んでいる人がイタリアにはけっこういるようだ。いったん家族の一員になってもらったはいいが、後々、その老人に痴呆の症状が出たり寝たきりになったときにも、ちゃんと介護する覚悟ができているのかどうかはわからない。だが、イタリア人の間では、赤の他人である老人を家族の一員として迎え入れることに対する抵抗感がわれわれほど強くないのかもしれない。
仮にアンジェロッツィさんと似たような境遇の日本の老人が同じような三行広告を出したとしよう。その場合、ぜひうちの家族になってくれという申し出がある「ありえる度」が2ポイント(ほぼありえない)くらいしかなさそうに思うのは筆者だけだろうか。
■ News source: Wanted: Family for lonely Italian pensioner
アンジェロッツィさんは79歳。定年まではクラシック音楽の教師をしていた。1992年に妻に先立たれてからは7匹のネコたちと暮らしている。
この三行広告に予想外の大反響があった。アンジェロッツィさんをおじいちゃんとして迎え入れたいという多数の申し出があったのだ。元音楽教師なら、子供や孫に音楽を教えてくれるのではないかと期待している人が多いという。それに、毎月日本円で10万円相当の謝礼金というのも魅力なのだろう。
連絡をくれた人の中には、アンジェロッツィさん自身のかつての教え子アントネーロ・ベンディッティも含まれていた。アントネーロ・ベンディッティはイタリアでは有名なポピュラー歌手なのである。
「ここまで多くの人たちが私に関心を持ってくれて、ここまで暖かい反応を示してくれるとは予想もしていませんでしたよ」とアンジェロッツィさんは語っている。「でも、忘れてはならないのは、このように寂しい一人暮らしを強いられている老人は、私以外に大勢イタリアにいるという事実です」
かつてのイタリアは、家庭が社会の中心的としての役割を担っていることで知られていた。しかし、近年では、離婚率が増加したり、転勤などで転居を繰り返す家庭が増えたりしたことにより、老人が一人残されることが多くなってきている。
イタリアには、7月や8月になると、その暑さのためにドラッグストアや食料品店が休業し、基本サービスが削減される都市がいくつもある。イタリアが猛暑に襲われた2003年の夏には、4千175人もの老人が死亡したが、その多くはそれらの都市で一人暮らしをしており、たった一人で灼熱地獄に耐え抜かねばならなかった老人たちだったという。
さて、ネタ元の英語記事では、「じいちゃんがほしい家庭」は「family willing to adopt grandfather」となっていた。英語のadoptには、養子にするという意味がある。しかし養子にするのであれば、adopt a child でないとロジックが成立しない。「老人をおじいちゃんとして養子にする」では意味をなさない。
これは一種の逆説的表現のようである。法的にadoptするという意味ではないようだ。
試しにadopt a grandfatherでググってみると、いくつかヒットがあった。そのうち目を引いたのが下記の記事。
- IL CENTRO - Pescara - Adopt a grandfather / Voglio un nonno
I want a father for myself and a grandfather for my children. A 41-year-old from Pescara has this dream, after seeing so many elderly forgotten by their families. A phone number for contacts.
これもネタ元記事と同じくイタリアの新聞に載った三行広告を英語化したものなのだが、アンジェロッツィさんとは逆の立場からの求人である。広告主の男性は、自分の家族のおじいちゃんになってくれる老人を探しているのだ。
赤の他人をおじいちゃん(あるいはおばあちゃん)として家庭に迎え入れ、生活を共にすることを望んでいる人がイタリアにはけっこういるようだ。いったん家族の一員になってもらったはいいが、後々、その老人に痴呆の症状が出たり寝たきりになったときにも、ちゃんと介護する覚悟ができているのかどうかはわからない。だが、イタリア人の間では、赤の他人である老人を家族の一員として迎え入れることに対する抵抗感がわれわれほど強くないのかもしれない。
仮にアンジェロッツィさんと似たような境遇の日本の老人が同じような三行広告を出したとしよう。その場合、ぜひうちの家族になってくれという申し出がある「ありえる度」が2ポイント(ほぼありえない)くらいしかなさそうに思うのは筆者だけだろうか。
■ News source: Wanted: Family for lonely Italian pensioner
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1. 高齢化・・ひとりって?老健とか廃業・倒産? [ 桜は、誓い〜2006年司法書士試験合格だ! ] 2006年02月10日 01:26
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