クラウドソーシング「ランサーズ」 なんでも評点:余は如何にしてノンポリになりしか

2022年07月13日

余は如何にしてノンポリになりしか


左翼学生の巣窟

ノンポリになりし―ということは、もともと私がノンポリでなかったことを意味している。熱心ではないが左寄りの若者だった。左寄りの学生がうようよしていた早稲田大学に入学したのだが、まもなく、みんな揃って左向きの風に馴染めないものを感じ始めた。最初、短歌クラブに入ろうとしたのだが、その部室がある学生会館が「伏魔殿」と例えるべき左翼思想学生の巣窟であることに徐々に気づき始めた。私が留年して5年生になったころは、学生会館がカルトの巣窟を兼ねていたかもしれない(関西の大学出身者の皆さんへ:関東の大学は留年すると5年生およびそれ以降へ‟進級”する)。

安部さんの前に政治家が暗殺された事件と言えば、1960年にまで遡る。浅沼稲次郎日本社会党中央執行委員会委員長(日本社会党党首)が17歳の右翼少年に刺殺された事件 である。浅沼氏は、今から約100年前の1923年に早稲田大学政治経済学部を卒業した。早稲田には、左翼大学としての歴史があるのだ。社会党も昔は随分と立派な政党であったかに見える。現代では、社会党は廃れ、共産党が健在だ。私の実父は、若いころ共産党の活動員だったと聞いたことがある。父は資本主義者に転向したのだが、私と8歳しか違わない父の妹(叔母)は自民党の地方議員の妻である。

さて、学生会館への出入りをまもなくやめて、登山関係のサークルに入ったのだが、その団体では左翼思想などバロック音楽の通奏低音のようなものだった。みんなごくふつうに左がかった若者ではあったが、イデオロギーで議論が始まることなどなく、平和に山に登っていた。だが、部員には、日本民主青年同盟(民青)のメンバーが普通に混じっていた。彼らとも山でマルクス・レーニン主義がらみの論争をしたことは一度もない。みんないい奴だったかもしれない。



学生会館からズラかったあたりから、私の姿勢は「もう団体行動は面倒だから止める」と定まっていた。マルクス・レーニン主義を推し進めるには、団体活動が必須だ。だが、私は団体行動が嫌いで、山登りだって面倒くさかった。4年生以降は、数人もしくは単独行でしか山に登ってない。5年生のある日、丹沢のどこかの沢を単独で遡上しているときに、ある滝から滑落し、意識を失くしていた。何分眠っていたのか。

学生時代に交際していた女学生にも「あなたは社会性がない」と切り捨てられた。そう、私は社会的動物ですらないのかもしれない。山をやめると急激に太ってしまい、一匹オオカミどころか、はぐれ熊でしかなかったが。

リアル・コミュニストたちとの触れ合い

23歳ごろから少し欧州で暮らした後、25歳ぐらいで南アフリカ共和国に住み始めた。商社の仕事だ。主な取引相手は、南アではなく、アフリカ南部に存在していた共産主義国3か国。当時から世界最凶の都市だったヨハネスブルグ(英語喋る人は「ジョバーグ」としか呼ばない)の高層アパートに暮らして、飛行機や自動車で共産国へ出張し、エコノミックアニマルの手先としてコミュニストたちと渡り合った。

日本には一人もいなかった本物のマルクス・レーニン主義者を手名付けるのが私のミッションだった。日本国の経済界は国際的「毒饅頭」で共産圏へも勢力を拡大して行った。今となっては、関係者の大半は引退しているか、死んだか、共産国現地の場合は服役しているかのいずれかなので、タブーには当たらないのだが、どこまで長くなるかわからないので具体的な説明は避けておこう。小説化しようとしたときも、このあたりが核心部を占めていたので、長い文章がすでに出来上がってはいるが…。

こういう資本主義側の汚さを実地で経験した私が愛国心を失ったのも無理のないこと。でも、あのころの私やその他大勢、共産圏に派遣された経済戦士が東側諸国のコミュニストたちを堕落させ、東西冷戦を終焉させたと誇りに思っている(堕落させる行動の是非はともかく)。もっとも、あの当時、現地で同業者と遭遇しても、目を合わることさえ避け、言葉を交わさなかった。私が親しくなるのは、日本からドロップアウトし、現地でアウトロー的に暮らしている‟元日本人”ばかりだった。私も日本でのアウトローな生き方がシームレスにアフリカ暮らしへ続いていた。他の経済戦士は、私よりもっと組織の分子的性質を帯びていた。

ま、若いころに海外で過ごして個人主義に染まった日本人は、あまり愛国的に見えない傾向があると思う。彼らは、日本で常識とされていることが世界的には常識でないと考えてしまうことが多いからだろう。左翼に分類されてしまったり、左翼の友人に囲まれたり。

ノンポリ&ノンカルト

以上のような理由により、私はノンポリと化したわけだ。…なのだが、ノンポリであろうと考える大きな理由は、個人主義者たる自分自身を集団が生む狂気から守るためだ。上の学生会館の話でもわずかに触れたが、現代社会はカルトに侵されている。オウムが凶悪事件を起こして、教祖以下幹部の大勢が死刑になったかと思えば、カルト教団と何が違うかよくわからない団体が与党に加わっている現代日本では、ノンポリ(Nonpolitical)にノンカルト(Noncult)を加えないと自分を守れない気がする。

私の祖先は、長崎あたりの隠れキリシタンだと父方の祖母に聞いたことがある。父方の祖母の家系には、宗教関係者が多く、私の叔父も田園調布あたりで興された新興宗教の幹部だ。私は、ある時期、オウム製のPC、マハポージャが気に入ってしまい、同業者に勧めまくって大量に買わせたのだが、サリン事件が起きても、我が家には警察が一人も来ず。同業者は警察の追及がしつこくて仕事どころではなかったらしいが、私は別の新興宗教の幹部が叔父にいたおかげで公安が最初からマークしていたのだろう、サリン事件後の面倒を免れた。

私には異〇弟がいて、彼は早稲田以上の左翼大学でもある京都大学まで進学しながら、統一教会に誘い込まれ、合同結婚式で嫁さんを見つけたらしい。

もう懲り懲りだ。宣言したい。ノンカルト! と。


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