2022年06月13日
私生活のことを書かないのがルールだったが、2019年3月に飲み屋で倒れて(と言っても足がふら付いただけだが、店主が心配して救急車を呼んでくれた)入院した日から、私の人生はねじ曲がりの極致を迎えた。入院した翌日ぐらいに症状が悪化。1週間ほど、記憶がない。友人たちが駆けつけてくれたが、あまり憶えていない。

6月頃にリハビリ専門病院に転院した。当時の妻の強い勧めに従って、脳に障害を負ったミッキーはサルで名高い箕面のリハビリ病院に入った。リハビリが終盤にかかると、当時の妻が離婚すると宣言した。妻が宣言しただけで離婚は成立しない。しかし、先を読めない馬鹿なミッキーは倒れる1年ほど前にサイン済みの離婚届けを妻に渡していた。脳に障害を負う前の署名が有効かどうかをい争点にすれば、離婚は無効と申し立てることもできるケースだったかもしれない。
しかし、ミッキーは馬鹿過ぎて決定的弱点を抱えていた。女がいたのだ。その女が病院にも現れ、妻と言葉も交わしていた。女はミッキーを心から心配してくれたから看病にも来てくれたのだろう。しかし、女は看護師だった。家族でなければ患者の容体などをまったく教えてもらえないことを女は一般人よりはるかに身に染みて知っていただろう。女が先に去り、リハ病院からの退院と同時に離婚した。
そして今のミッキーがある。入院前と比べて悲惨だ。退院後半年ぐらいは仕事にも恵まれていたのだが、コロナ禍が深刻化すると、仕事が途絶えた。
この続きは、明日以降に書く。
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