G- なんでも評点:41名が命を落とした史上最悪のスケート事故

2019年01月23日

41名が命を落とした史上最悪のスケート事故


スケート場で起きた史上最悪の事故では、41名が亡くなっている。スケート場での事故と言えば、スケーター同士が衝突するケースが典型的であるかに見える。まさか、氷上で騎馬戦でもしていて大人数同士が死ぬほどの衝撃で衝突したとでもいうのか? いや、この事故は、ビクトリア朝時代の英国で起きた。1867年1月16日のことだった。
SkateAccident1.
ロンドン北部にある王立公園「リージェンツパーク」がその痛ましい事故の現場となった。現代の冷凍設備によるスケート場では考えられないことだろう。だが、そもそもスケートは湖や川の水面に張った氷の上で発祥した。氷が溶けたり割れたりして小規模な事故が起きることは珍しくなかったはず。19世紀のリージェンツパークもそれは同じである。ただ、スケート客の数が多すぎたために、犠牲者の数が増えた。

その日、午後4時15分ごろ、湖の西側にある6エーカーほどのエリアでは数百人がスケートを楽しんでいた。突然、何の前触れもなく、氷が割れ、数千個の氷塊へと崩壊したのだった。100名ないしは200名のスケーターが凍て付く水中に呑み込まれる。うち41名が命を落とした。

生存者の1人、ダントン氏の体験談が当日付けのOxford Chronicle & Reading Gazette紙に掲載されている。ダントン氏は、二人の子供をスケート場に連れてきていた。足下の氷が突然動き始めたかと思うと、深さ1.5メートルはある水中に落ちた。

「あんな光景は二度と見たくありません。150人ものスケーターが生き延びようともがいていました。氷片が一面を埋め尽くす中に大勢の人たちの頭や腕が見えました。私から2メートルと離れていない場所で幼い男の子が溺れていました。私は、自分が落ちた位置に30分近く踏みとどまっていましたが、泥の深みに足を取られた状況でした。ついには、水面が私の顎に達しました。2人の息子が水に没しないよう一生懸命両手に抱えていましたが、水が冷た過ぎて両脚がけいれんし始めるともう限界でした。

「大きい方の息子に"フレッド、助けは来てないか? 泥に足が吸い込まれてしまいそうなんだ。父さんの杖を振ってくれ"と言うと、息子がこう答えました。"父さん、男の人がこっちへ泳いでくるよ。助けに来てくれたんだ!"見回すと、勇敢な青年が氷片の浮かぶ水面を突っ切ってこちらに泳いで来るのが見えました」

さすがはビクトリア朝時代の新聞。凄惨でむごたらしい詳細の記述を差し控えたりしない。Oxford Chronicle & Reading Gazette紙の生々しい記述によれば、湖から回収された遺体は、強い鬱血を示す紫の斑点が顔面に浮かんでいて、歯のあたりには「あぶく」が残っており、唇がひどく断裂していた。

SkateAccident2.当時の新聞は、野次馬を喜ばせそうな事故の詳細報道に注力したが、その一方で、事故が残した悲哀や悲嘆について触れる記事や、事故から今後に活かすべき教訓について述べる記事も見られた。

Oxford Chronicle & Reading Gazette紙は、湖に取り残された1枚の氷片の上に1時間以上も立ち尽くしたまま一言も助けを求めなかった男性の無私無欲さについても触れている。彼は、自分が最後の生存者だとわかるまで、助けを呼ばなかった。遊覧船(当時の話なので手漕ぎのボート)に救出されると、何事もなかったかのように自らオールを取って漕ぎ始めたという。

この事故は、ビクトリア朝時代の英国社会の根底を揺るがす影響を及ぼしたとする新聞もあった。持つ者と持たざる者に二分された社会。金持ちはしばしばもっと金持ちになり、貧乏人はもっと貧乏になる。しかし、この事故の犠牲者には、その両方が含まれた。Glasgow Evening Post紙は、遺族や参列者を見ると、事故の犠牲者はあらゆる階級にわたっていると述べた。

Waterford Mirror & Tramore Visitor紙に掲載された犠牲者名簿にも、この事故の犠牲者が多様な"クラス"にまたがっていたことが示されている。有名な財界人や役人の名もあれば、スケート客相手に生計を立てようとしていた多くの男たちの名も記載されている。ジェームズ・グリフィンという享年29の男の名もその中に含まれている。氷上でスケート客にオレンジを売っていた最中に氷が割れ、命を落とした。また、ジョン・ブライアンという男も焼き栗を売っていたときに災難に遭った。彼の遺体は、焼き栗機とともに回収された。

SkateAccident3.遺体の回収作業は、キューの町からやって来た漁師たちが底引き網を引いて実施した。さらに、当時最新の装備を装着したダイバーたちが水中を探索した。ダイバーたちは、暗い部屋の中で作業するのに似ていたとのちに述懐している。

事故の原因も議論を呼んだ。ケイレブ・ウィットホールドという名の医学生が事故を目撃していたが、彼は、湖の端近くにある氷を係員が切断していたのが原因だと主張した。これは、湖の島の部分にスケート客が上陸するのを防ぐために行われていた。これに対し、審問会に呼ばれた係員アルフレッド・ワードは、その主張に反論し、当時の日差しが強かったこと、氷上でホッケーをプレイしている男たちがいたこと、そして氷上で飛び跳ねている客がいたことが原因だと主張した。




■ Source: The Regent’s Park Skating Tragedy ? 16 January 1867

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