2008年06月21日

揺るぎない秩序の船に乗ってカオスの海を行く ― ランディ・パウシュの『最後の授業』書評


私には、この世が確固たる秩序の上に成り立っているとは思えない。むしろ、この世の本質はカオス(無秩序または混乱)だと思っている。青少年期から順風満帆な人生を歩んできた人は、揺るぎない秩序の船に乗ってカオスの海を航海してきたことになる。一方、波乱万丈な人生を歩んできた人は、何度もカオスの海に落ちながら秩序の船に這い上がってきたことになる。
また、カオスと自分の間に常に明確な線を引きながら生きることをよしとする人がいる一方で、好き好んでカオスの飛まつを浴びようとする人もいる。その後者に属するのが実は、この私である。アパルトヘイト撤廃前の南アにいっとき移り住んで、それまで味わったことのない充実感に満ち足りた日々を送ったことは、以前に何度か書いたことがある。

これまた個人的な話だが、肝臓を患った母が今年の1月の終わりごろに入院したことにも当ブログの記事で触れたことがある。入院当初、医師によれば、おそらく1か月がヤマだろうという話だった。しかし、母はまだ生きていて、しかも容態が大幅に改善している。

免疫力が著しく低下していたことから、しばしば感染症にかかり、いつ急変してもおかしくない容態が続いた。アンモニア脳症が悪化して、まともな会話を交わすこともできない日々が続いていた。こんなふうに混沌とした意識のまま、この世を去るのだろうと覚悟せざるを得ない状況だった。

だが、どうやら“メディカル・ミラクル”が起きたらしい。今では、入院前とまったく変わらない意識状態にまで回復している。短期記憶には若干難があるものの、過去の記憶もほぼ回復している。しばらく前から歩行リハビリを続けている。

詳しいことを書くつもりはないが、母の人生もカオスと常に隣り合わせだった。人がカオスに呑み込まれないためには、理性や知性、家族愛や同族愛、帰属意識、あるいは信仰が重要な役割を果たす。あえて言えば、母は理性だけでカオスに呑み込まれずに生きてきた。理性と言うより、むしろ我慢強さと言う方が的確だろう。

ただ、最近になってわかったのだが、母はカオスと隣り合わせで生きることが決して嫌いではなかったようだ。まだ意識がはっきりしていないとき、ときどき、夕べ病院が爆発して目が覚めた・・・みたいなことを口走っていた。そういうときだけ、なぜか生き生きした口調になる。

意識が回復してからは、少年時代の私が“アドベンチャー”を繰り返していたことなどを楽しそうに思い出す。たとえば、まだマウンテンバイクというものが存在していなかったあの時代に、私はしばしば自分で改造した自転車を担いで山に登りに行ったりしていた。母をさぞかし心配させただろうと思っていたのだが、内心、面白がっていたらしい。

★ ★ ★


前置きが長くなったが、本稿は書評として書いている。ある大学教授が書いた“人生最後の本”の書評である。私に言わせれば、この教授は、まさしく“揺るぎない秩序の船に乗ってカオスの海を順風満帆と航海してきた”人の典型である。

「揺るぎない秩序の船」の屋台骨となってきたのは、彼の明晰な頭脳である。しかし、どんなに優れた知性にも御しきれないカオスがこの世には潜在している。その代表の一つは、地震や大雨などの自然災害である。そして、個人を襲うカオスといえば病魔である。

ランディ・パウシュ教授の「最後の授業」のことは、当ブログで過去に2回取り上げた。1回目は、「最後の授業」が行われた直後の2007年9月にそのレクチャの内容を紹介した。2回目は、レクチャ映像のノーカット版に日本語字幕が付いたものをYouTubeにアップしたとコメント欄で知らせてくれた人がいたので、それを受けて改めて書いた記事(2008年5月19日)である。

後でわかったのだが、YouTubeにアップされた日本語字幕付きビデオは、ランダムハウス講談社という出版社がパウシュ教授の許諾を得た上で、中山典子さんというプロの字幕翻訳家による字幕を付けたものだった。これが何を意味するか? そう、実はこれから出版される『最後の授業』という本のプロモーションの一環だったのである。

2回目の記事の直後で、そのあたりの事情をちゃんと説明するメールが『最後の授業』の担当編集者である常盤さんという方から送られてきていたのだが、私は1か月近くも、そのメールを見落としていた。SPAM対策のせいである。当ブログで公開しているメール・アドレスには、1日に数百通ものSPAMが届く。

そこで、いろんな条件で着信メールにフィルタをかけていたのだが、運悪く、常盤さんから頂いたメールが除外条件の1つに引っ掛かっていた。先日、もしかしたら重要なメールがSPAM扱いされているのではないかと気になって、過去のメールを精査したところ、重要なメールが3通もSPAM扱いされていたことが判明した。

常盤さんからのメールのほか、今年の1月には(地上波ではないが)某テレビ番組に「なんでも評点」の記事を使わせて欲しいという打診のメールが届いていた。その話が成立していれば、「ありえな〜い100選」の売れ行きにも大きなプラス材料になっていたはず。何たる不覚。慌ててメールを返信したが、さすがに半年遅れのメールである。無礼にもほどがあると思う。やはり、現時点に至るまで返答はない。

もう1通は、あるコンピュータ専門誌からの連載依頼のメール。こちらは、今年の2月に届いていた。大慌てで、そのメールに書かれていた担当編集者の電話番号にかけてみると“何を今さら”な連絡にも快く対応してくださり、「じゃあもう一度検討してみましょう」との返答。・・・連載開始直前になったら雑誌名やその内容などに関して詳しい告知をしようと思うが、1ヶ月か2ヶ月先に連載が始まる見込みである。

★ ★ ★


書評のはずなのに話が脱線してばかりだが、2日ほど前に刊行直前の『最後の授業』がランダムハウス講談社から私の事務所に届いた。さっそく、仕事の合間や移動中などに読み始めた。速読が得意な私にかかれば、全254ページの読破に要した時間も正味2時間ほどだった。

『最後の授業』の背景を知らない人が本の中身だけを読んだら、「もしかして、これは小説なのか」と思うかもしれない。初期の村上春樹に多大な影響を与えたとされる、かのカート・ヴォネガットの小説を読んでいるような錯覚さえ覚えてしまいそうだ。その文体をひとことで評すれば、「ポップ」に尽きる。

まさか本当に余命数か月という絶望的状況にある人が書いた本とは思えない、あっけらからんとした明るさに満ちている。それは、YouTube上で公開されているビデオ映像のあの雰囲気とたがわないものである。

だが、その明るさ(ユーモラスさ)は、パウシュ教授が揺るぎない知性でカオスに立ち向かおうとしていることの証だと感じる。ユーモアは、人類がその進化の過程で無用な争いを避けるために生み出してきた“知的な武器”であったという説を唱えている科学者もいる。そして実際、教授のユーモアは教授自身が自分を貫くための武器になっている。

字幕付きビデオの中で、自分がまもなくこの世をさろうとしている現実は変えられない、とパウシュ教授は語っている。「だから現実の受けとめ方を変えるのです。配られたカードで手を考えるほかありません」と。

教授に配られたカードで、どんな手が考えられるのか。そのゲームに勝つことができるのか。死ぬことが負けることだと考える限り、勝つことなんてできやしない。しかし、『最後の授業』の「リーダーシップという名のスキル」の項(63ページ)には、「勝ち目のないシナリオがあるはずがない」という言葉が出てくる。

これはランディ教授自身の言葉ではない。教授が子供のころからファンだった(筆者もファンだった)「スタートレック」に出てくるカーク船長のセリフである。ランディ教授は、子供のころに憧れていたカーク船長を演じていた俳優ウィリアム・シャトナー氏と(まだ健康なときに)対面を果たしている。

教授の病状を知ったシャトナー氏は、カーク船長の写真を教授に送ってきた。そこにサインされていたのが、「勝ち目のないシナリオがあるはずがない」という言葉だった。

教授にとって、最後まで自分の知性と尊厳を失わないことが勝利に値するに違いない。つまり、病魔というカオスに心まで呑み込まれずに自分を貫くことである。

★ ★ ★


私が“カオス”という言葉で表現しようとしているものを、パウシュ教授は別の言葉で呼んでいる。“変数”である。

「おとぎ話はハッピーエンドとは限らない」の項(102ページ)には、37歳まで独身の“遊び人”だったパウシュ教授が独身生活にピリオドを打った日のエピソードが記されている。ジェイさんと結婚式を挙げた後、2人は熱気球に乗り込んだ。教授が自分で操縦するのではなく、それを仕事としている“気球師”が操縦する。

ところが、風任せに飛ぶ熱気球がなかなか着陸できない事態に陥る。ようやく進行方向に広い原っぱが見えると、気球師が気球を急降下させ始めた。

だが、その原っぱの端っこには線路が通っている。そして、今にも列車が通り過ぎようとしている。そのとき、教授と気球師の間で次のようなやり取りが交わされる。

「あそこに変数が見えるでしょう?」
「変数? きみたちコンピュータ屋は問題のことをそう呼ぶのかい?」
「ええ、まあ。もし電車にぶつかったら?」


結局、派手な着地にはなったが気球が電車にぶつからずに済み、事なきを得たのだ。だが、教授は思わず「変数」という言葉を使ったのだ。そして、「カオス理論」(リンク先はWikipediaだが、パウシュ教授は紙の百科事典よりもWikipediaを重用しているという)では変数の概念を用いて、予測不能で複雑かつ不規則な現象の中に隠された秩序を見出そうとする。

おそらく、教授のこれまでの人生で、こういった“変数”が占める部分や出現する変数の数はごく限られていたはずだ。カオスとの明確な線引きが出来た人生だったからだ。『最後の授業』には、教授が若い頃に味わった挫折のことも記されている。しかし、カオスと隣り合わせに生きてきた私のような人間から言わせてもらえば、どの部分が“変数”であるかを特定しやすいタイプの挫折であったように見える。

★ ★ ★


どんなに優れた知性や技術でも御しきれないカオスが自らの体内で展開されていることを教授が知ったのは、2007年8月15日のことだった。

教授が膵臓ガンを告知されたのは2006年6月のこと。当初、教授は至って楽観的だったようだ。科学者として医者にいろんな仮説を投げかけて、最善の策で病気を克服しようとしていた。その時点では、まだ制御しうるカオスのはずだった。

教授は担当の外科医にこう言ってのけている。

「僕の目標は生きることです。あなたとは数十年のお付き合いになりますよ」


まもなく手術を受けた。それで快方に向かうはずだった。

術後3か月おきにCTスキャンによる検査を受けていた。翌年の8月15日も検査の結果を聞くために病院を訪れたのだった。しかし、教授の体内には、10個の腫瘍が出来ていて、肝臓に転移していた。

それでも、「ランディ科学者モード」はまだ確実に機能していたと教授は書いている。ただ、この経緯を記した「何があっても」の項(79ページ)には、さすがにポップな文体は見られない。

その瞬間から、カオスに心まで呑み込まれずに生きることが教授の目標になったに違いない。

★ ★ ★


当ブログでは、極限状況に置かれた人たちの話をこれまでにしばしば取り上げてきた。昨年パウシュ教授の「最後の授業」の映像を取り上げたのも、その路線に沿ってのことだった。

本稿は一応、書評のつもりで書いているのだが、「極限状況マニア」的な視点に立った内容になってしまった。ま、正確に言えば、本の感想を題材にした読み物みたいな感じで書いてみた。




しかし、本書『最後の授業』は本当に最後の授業なのだ。教えられることがたくさん詰まっている。教授が「最後の授業」を執り行い、その様子をビデオに撮らせた真意は、まだ幼い子供たちが将来大きくなったときに自分の姿を見せ、自分の言葉を聞かせたい、という思いにあるらしいが。

まあしかし、自著『世界のありえな〜い100選』が売れずに困っている私が他人の本のプロモーションに期せずして関わってしまったというのも、なにやら因果な話なのか、そうでないのか、よくわからない展開である。ただ、パウシュ教授の言葉と姿に深い感銘を受けたというのが、モチベーションの根底にある。

『世界のありえな〜い100選』も本当は少しはタメになる本のつもりだったのだが、編集部とのコンセンサスがあまり取れていなかった(表紙のことなど)。だいいちタメになる本という意味では、『最後の授業』の足元にも及ばない。これから新たなスタートを切ろうとしている人にも、挫折感を覚えている人にも『最後の授業』はぜひお勧めしたい一冊である。

書籍情報

最後の授業 ぼくの命があるうちに (ハードカバー)
ランディ パウシュ (著), ジェフリー ザスロー (著), 矢羽野 薫 (翻訳)
価格: ¥ 1,575 (税込)

ハードカバー: 256ページ
出版社: ランダムハウス講談社 (2008/6/19)
ISBN-10: 4270003499
ISBN-13: 978-4270003497
発売日: 2008/6/19


【追記】

自分の愛読書の中に、『最後の授業』の訳者である矢羽野薫さんの訳書があることに気づいた。フランセス・アッシュクロフト著の『人間はどこまで耐えられるのか』である。ハードカバーは2300円もするが、文庫化もされている(人間はどこまで耐えられるのか (河出文庫 ア 6-1))。題名のとおりの内容となっている。あまりに面白いので、今でもときどき引っ張り出してきて読んでいる。

【付記】

これから、ときどき書評的な記事も書こうと思っている。今ぼちぼち読んでいるのが、河出書房から出ている世界文学全集の1冊。この1冊(アフリカの日々/やし酒飲み(世界文学全集1-8) (世界文学全集 1-8))には、アフリカが舞台になっている長編小説が2本も収録されされている。近いうちに、これの書評も書いてみようと思っている(速読モードで読んでいないので、だいぶ先のことになるが)。ま、書評といっても、本稿のように、あくまで本の感想を題材とした読み物記事となる予定である。つまり、ニュースや科学発表などを題材にする代わりに書籍を題材にするというわけである。


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この記事へのコメント

1. Posted by えめとん   2008年06月21日 10:05
カオスの海のロウの船…詩人ですね…

微妙に気になったのが「地上波の番組」が打診してなかったと言うことだったり。
2. Posted by     2008年06月21日 15:14
コンピュータ誌への連載、おめでとうございます。
3. Posted by ◎   2008年06月22日 21:07
5 この本を買おうかと思って、ウェブで書評を見て回ったんですが
同じような内容の紹介文ばかり。極限状況というのは、本当にその
通りですよね。なのにパウシュさんはどうしてこんなに明るくして
いられるのか。秩序とカオスという考え方で、そのへんがわかった
気がします。

いや、ちょっとうさんくさいものも感じちゃったんですよね。人が
死のうとしているのに大々的に本を売り出したりとか、ちょっと
どうかと思う部分もあったんです。

でも、このサイトの記事を読んでいると、本が出たすぐ後に自分の
人生が終わろうと、そんなこともパウシュさんにはとっくに織り込み
済みなんでしょうね。だから、うさんくさいとは思わなくなりました。

それにしても、この記事自体がすごく面白いですよね。ネットでも
ここまで現実に根ざした文章の書き手がいるんだ。感心しきりです。
4. Posted by ヴァル   2008年06月23日 23:47
肝性昏睡からの回復は奇跡ですね!お母さんを大事にしてあげてください☆

最近 読書から離れていましたが、また読書の時間を作ろうかと思えました〜
5. Posted by フィデル   2008年06月25日 03:46
その時その状況において、すごく大事なメールがことごとくSPAM扱いされているってのも、負のカオスですね(笑)
ということはその逆、正のカオスも気付きにくいだけで、あるのでしょうね

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