G- なんでも評点:遥かなるアンタナナリーボ:マダガスカル回想記(その2)

2008年02月22日

遥かなるアンタナナリーボ:マダガスカル回想記(その2)


少し余裕が出来たのだが、相変わらず取り上げたいネタが見つからない。一部の読者の方々から続きを読みたいとご要望をいただいている「遥かなるアンタナナリーボ」の続きを書いてみよう。
そうそう、第1回では本文中で「アンタナナリボ」と表記しているのに、題名だけが「アンタナナリーボ」になっている。実際の発音は“リ”のところにアクセントがあるはずなので「アンタナナリーボ」の方が近いと思われる。だが、ネットを検索してみたところ「アンタナナリボ」という表記が定着しているようだ。そこで、本文中では「アンタナナリボ」と表記した次第。

それと、現在のマダガスカルは決して訪れにくい国ではないと思う。もともと南アのように治安の悪い国ではなかった。ただ、私の訪問はベルリンの壁が崩壊するより少し前のことだった。東西冷戦が最末期を迎えていたころの話だが、今とは事情が大きく異なるのだ。

さて、「ありえな〜い100選」の著者紹介欄にも記されているように、私は自ら大酒飲みだと認めている。しかし、昼間から飲む習慣はない。昼間から飲むことがあるとしたら、せいぜい新幹線での移動時にウィスキー水割りの缶をちびちびやる程度である。

しかし、過去に何人か、昼間から浴びるように酒を飲む習慣のある人たちと巡り会ってきた。「昼間から」というのは実は不正確で、たいていは朝起きたときに水代わりにビールを飲むような人たちである。そういう人たちと接していると、「大丈夫かよ?」といつも思う。

実際、アンタナナリボで私を迎えてくれた取引先の工場長を見ていると、この人の肝臓はそろそろ限界に達しようとしているのではないかと思った。工場長はヘッドランプが抉り取られたプジョーを整備工場に持ち込んで修理させた後、私を乗せて私の宿泊先のアンタナナリボ・ヒルトンに車を走らせた。

運転手は自分の客であり、しかもべろんべろんに酔っている。運転自体に危なっかしいところはなく、そもそも交通量も非常に少なかったのだが、酒臭くて困った。

牡蠣を食わせてやる、と言う。ヒルトンの1階に美味い牡蠣を食わせるレストランがあるというのだ。二人でレストランに入る寸前、またもや誰かが日本語で声をかけてきた。確かに「こんばんは」と聞こえた。

振り向くと、今朝見かけたのと同じ若い男性だった。やはり、にこりと微笑んだだけで、そのまま去って行った。私服だし、ホテルの従業員ではなさそうだった。もしかしたら私は当局に行動を監視されているのかもしれなかった。

だが、工場長は、不安げな表情をしていたはずの私のことなどお構いなく店内にずかずか入っていくと勝手に席を選んで着席し、ウェイターに早口でまくしたてた。酒と料理を大至急持って来いと告げたに違いない。

殻付きの生牡蠣をたくさん乗せた大きな皿が運ばれてきた。その数年前、オーストラリアのシドニーで同じような大皿を振舞われたことがあったが、その夜からひどい下痢に見舞われた。同じ目に遭う可能性もあったのだが、喉もと過ぎれば熱さ忘れるというやつである。工場長がセレクトしてくれたワインも美味で、ついつい調子に乗って生牡蠣を大量に食してしまった。

工場長は片言の英語しか話せないので、あまり複雑な会話ができなかったのだが、金の話になると急に話が通じるようになるのは前回も書いたとおりである。ただ、先ほども当局の見張り役かもしれない若い男性を見かけたばかりであり、金の話は決してするまいと心に誓っていた。

工場長の片言英語が饒舌になる系統の話題がもう1つあったので助かった。女の話である。工場長はなんのためらいもなさそうに「自分には妻もいるが、愛人もいる」という話を始めた。妻はフランス人だが、愛人はマダガスカル人、しかも現地の王族の末裔だという。「今度来たときは、両方に会わせてやるよ。今度は、もう少しゆっくりしていけよ」

翌朝の飛行機でモーリシャスに戻る予定だったので、その晩は早めに切り上げた。モーリシャスでは、現地の華僑と商談があるので、しばらく滞在する予定にしていた。

だが、その晩はほとんど眠ることができなかった。牡蠣のせいである。またしても、当ってしまった。ベッドとトイレを何十回も往復しているうちに夜が明けた。貝の類というのは、現地の人は平気でも、他所から来た人はこんなふうに当ってしまうことが往々にしてある。

2回目の訪問は、たしか1年後くらいだったように覚えている。アフリカ南部を飛び回っているころに一番世話になっていたのは、モザンビーク生まれ南ア在住のポルトガル人だったが、彼はマフィアのボスみたいな容貌で、気質もかなり荒かった。出かけるときは、常に上着の内側にリボルバーを忍ばせていた。ジョークは飛ばすが、あまり笑っている顔を見たことがない。そもそも彼が現地で営んでいた物流ビジネスの資金は、傭兵時代に稼いだお金が元になっているということだった。

明暗のコントラストのようなものを感じていた。そのポルトガル人が“暗”の象徴なら、あの工場長は“明”の象徴のような存在ではないか、と。いやいや、どちらもダークサイドに足を突っ込んでいる点で変わりはない。だが、持って生まれた気質のようなものだけを感じ取るなら、明と暗のコントラストがくっきりと浮き出ていた。

傭兵上がりのポルトガル人社長と接するのは、かなり苦痛な面が多かった。だから、2回目のマダガスカル行きが決まったときは、これでしばらく解放される・・・と、ほっとした。どちらの人物もこちらの都合など関係なく自分のペースに巻き込もうとするタイプだったが、たまには“明”のペースに巻き込まれてみたいと思ったのだ。

第2回目の訪問では、工場長ご自慢の愛人と面会を果たした。王族の末裔という触れ込みが決して大げさではないことを目の当たりにすることになる。これには、彼女の美貌はもちろんのこと、お城のような住居に住んでいたことも含まれる。その話については次回ということで、今回はここで終わっておくことにしたい。

【付記】

おっと、「ダークサイド」などという言葉を使ってしまった。言うなれば、その「ダークサイド」にこの私も足を突っ込んでいたわけだ。だから、体験記的に事実として書くには、はばかられることが多い。というか、その当時どんな仕事をしていたかを親しい人にだって詳しく話したことはない。

だが、もう随分と歳月が流れた。冒頭に書いたようにベルリンの壁崩壊よりも前の話なのだ。これだけの歳月が経ってようやく少しだけ話す気になってきたが、体験記としては、「ダークサイド」の核心に迫るようなことをこれ以上書くわけにはいかない。もし書くとしたらフィクションとしてである。







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この記事へのコメント

1. Posted by jacklegdoc   2008年02月22日 21:23
心待ちにしてました。
筆者さんが世界中を駆け回って何をしていたのかもかなり気になります。
2. Posted by 琵琶湖   2008年02月22日 23:23
続きを楽しみにしています!!
3. Posted by vivi   2008年02月22日 23:38
筆者は何者なんだ!
4. Posted by キハチ   2008年02月23日 01:51
5 いつもの様な記事も面白いが、筆者の体験記の方がそれ以上に面白い。
5. Posted by ポニ   2008年02月23日 13:46
4 ダークサイドの話、気なります。
6. Posted by たま   2008年02月23日 22:48
面白いです。時間のあるときにまた書いて下さい。楽しみに待ってます。
7. Posted by 考人   2008年02月24日 00:20
5 自伝出したら売れるんじゃなかろうか?
間違いなく自分は買う。

いや、次回楽しみにしています。
8. Posted by ZZ   2008年02月24日 00:40
5 >>7
自伝としては書けないヤバイことがあるんでは?
おいらも「ダークサイド」のことを知りたいけど、
きっと事実としては書きにくいんではないかと……
東西冷戦を終結させるためにいろんな人たちが工作活動
したとかいう話を聞いたことがある
もしかしてそっちらへんに関係していたのかなぁ……
なんて想像を刺激される

>>筆者さん
珍ニュースだのこだわらずに、ここで堂々と小説を
連載したらいかがでしょうか
きっと大評判になると思いますよ

>>出版社の皆さん
これだけ経験値の高い書き手を今の日本で探すのは
難しいと思います
9. Posted by RO   2008年02月25日 00:58
当局に監視されるってアフリカじゃ良くあることなのか?
10. Posted by 這龍   2008年02月27日 06:55
面白かったですがもっと筆者さんの事を知りたくなりました。
いろんな経験されてるんですね。
11. Posted by this hyperlink   2014年05月07日 20:11
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12. Posted by Learn Even more   2014年05月08日 10:04
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