G- なんでも評点:それまで互いにひどく嫌い合っていた弟を回復の見込みのない昏睡から2年がかりの献身で蘇らせた兄

2008年01月10日

それまで互いにひどく嫌い合っていた弟を回復の見込みのない昏睡から2年がかりの献身で蘇らせた兄


聖人のような兄と暴君のような弟。米国カリフォルニア州オレンジ郡にまったく正反対な性格の兄弟がいた。兄のアラン・ホールさんは、幼い頃から他人に奉仕することに喜びを見出してきた。8歳になるかならないかのうちに毎晩、家族の夕食を作るようになった。学校に上がってからも成績優秀な優等生であり続けた。
利口で理路整然としたアランさんは両親にとっても頼りになる息子であり、相談役のような存在だった。正義感の強いアランさんは、保険関係の不正行為調査員の仕事を勤めた後、 HMO(保健維持機構)のディレクタという社会的に信用のある地位に就き、早くに妻を娶った。そのかたわら、探索救助ボランティアとしても活動するようになった。

一方、弟のランディ・ホールさんは、兄とは正反対に札付きの不良少年へと成長していった。近所の家から金品を盗み出してきたこともあれば、屋根裏でマリファナを栽培していたこともある。ハイスクールも中退してしまい将来が危ぶまれたが、頭が切れることだけは兄譲りだった。

ラグナ・ビーチに衣料品店を立ち上げて、やがて3店舗を構えるまでになった。だが鼻っ柱の強いワンマン社長であり、私生活では女にモテるのをいいことに次から次へと女に手を出した。自分は独身を貫きながら、夫のいる女性だって持ち前の強引さで落としてしまう。

こんなランディさんとアランさんが互いに水と油のような存在であったことは想像に難くないだろう。実際、お互いにひどく反目しあっていた。

性格と行動が正反対な二人を見てきた母親は、「アランとランディを足して2で割ったら理想的な二人の息子になるのにねえ」みたいなことをしばしば冗談交じりに口にしていた。

お互いのベクトルがまったく一致することのない人生を歩んでいたかに見えた兄弟だったが、2000年の4月19日を境にすべてが一変してしまう。その日の夜、ランディさんは何者かに鈍器で頭部を強打され、意識不明の重体で病院に運び込まれたのである。

犯人は2008年1月現在に至るまで捕まっていない。ランディさんに妻を寝取られた旦那の仕業だったかもしれず、あるいは彼に捨てられた女の仕業だったかもしれない。だが、オレンジ郡の保安官事務所は、何の手がかりも得られないまま捜査を終結してしまった。

その夜以来、病室のランディさんに献身的に付き添う人の姿があった。血を分けた兄弟でありながら、あれほどにまでランディさんと反目し合っていたアランさんその人である。

ランディさんが昏睡から覚める兆しは一向に見られなかったが、アランさんは決してあきらめたりしなかった。理論派の彼は、昏睡のメカニズムと治療法を徹底的に調べ始めた。絶対に弟を目覚めさせてやるつもりだった。

「私は戦う男ですよ」アランさんは言う。「正しいことを貫くためにね」

昏睡から覚める兆しのないランディさんを入院先の病院の脳外科医が設備やスタッフの充実していない別の“チープ”な病院に転院させようとしたときも、アランさんは断固として戦った。かつて聖人のようだと評された温和なアランさんが鬼の形相で外科医を叱り付けて、転院を阻止した。

そして、もし転院していたならランディさんは、ほぼ間違いなく死んでいた。ランディさんは昏睡に落ちてから数ヶ月のうちに4度も重篤な発作を起こしたのである。設備とスタッフの充実した病院にとどまっていたからこそ、死を回避することができたのだ。

6ヵ月後、ランディさんの容態が落ち着くと、アランさんは彼を転院させることに同意した。ただし、転院先はアランさんが選りすぐった昏睡患者専門の病院だった。海を一望できる環境に立地した数十床規模の病院だが、昏睡患者のケアに関して評判が高く、13年間も生きながらえた患者さえいたという。しかし、アランさんは、ランディさんを昏睡状態のまま入院させておくためにその病院を選んだのではない。

必ず元どおりに回復させてやるつもりだった。その決意の言葉を聞くと、転院先の医師は顔を曇らせた。「前の病院の医師に聞いておられないのですか?」

「聞くって何を?」
「弟さんの脳機能は、たったの30パーセントしか残っていません。弟さんが昏睡から覚めるなど、ありえないことなのですよ」

だが、アランさんが希望を捨てなかったことは言うまでもない。実際、アランさんはやがてランディさんの様子に微妙な変化を感じるようになった。小学校4年になる頃には「ミスター・エンサイクロペディア(物知り博士)」のあだ名で呼ばれていたほどの理論派アランさんだったが、脳がほとんど機能していないはずの弟が自分の言葉にわずかに反応しているように見えるようになったのである。

その頃までに、アランさんは“The Brain”という医学誌を購読するようになっていた。ドイツで行われた睡眠に関する研究や、感覚遮断室、そして頭蓋冠の再建など、弟の回復につながるヒントが含まれているかもしれない医学発表に徹底的に目を通していた。

アランさんは、フェルデンクライス・メソッドという代替医療法の専門家を雇い、ランディさんの体と脳を活性化するための筋肉トレーニングを実施させることにした。

ついにはランディさんの介護に専念するために、仕事も辞めてしまった。しかし、アランさんが仕事を辞めたことをこれ幸いとばかりに、家族が彼に難題を突きつけた。ランディさんが経営していた3店舗の衣料品店を引き継いでくれというのだ。アランさんは結局、自らの意志に反して衣料品店を引き継ぐことになった。

衣料品店と病院を往復しながら、アランさんは病室のランディさんに声をかけ続けた。アランさんは言う。「私が弟に声をかけると、弟の顔にわずかな反応が見られるようになったのです。だだし、私にしかわからないような微妙な変化です」

アランさんは、ランディさんの病室に彼が好きだったジプシー・キングスの音楽を流し、彼が好きだったキューバ葉巻の香りをくゆらせた。ランディさんと仲の良かった友人たちを病室に招いた。もっとも、生命維持装置につながれたまま何の反応も示さないランディさんの姿、そして頭蓋骨が取り外された場所に開いたソフトボール大の穴を直視できる見舞い客は一人としていなかった。

昏睡に落ちてから1年半後、ランディさんは肺炎を患う。このまま帰らぬ人となってしまうかもしれなかった。ランディさんが6週間にわたって隔離病室に収容されている間、アランさんは自分が医学論文を読み漁って得た知識を医師にぶつける。取り外されたままになっている頭蓋冠(頭蓋の天井部分)を再建すれば、弟の容態は好転するのではないか、と。

結局、アランさんは脳外科医を説き伏せることに成功し、2002年の1月に頭蓋冠を再建する手術が執り行われた。すると、どうだろう。アランさんの考えが正しかったことが見事に証明されたのである。

術後数ヶ月のうちに、ランディさんが少しずつ意識を取り戻し始めた。2000年の4月に昏睡に陥ってから、2年もの歳月が流れていたにもかかわらず。

しかし、意識を取り戻し始めたとは言え、一進一退の状態が続いた。昏睡患者が目覚める話は当ブログで何度も取り上げてきたが(末尾の「関連記事」参照)、ランディさんが完全に意識を回復するまでには長い時間を要した。

ランディさんは、数ヶ月にもわたって苦しいセラピーを受け続けねばならなかった。最初は座ることさえできず、片言の言葉さえ満足に話せなかった。幼いころに学習したはずのそれらもろもろのことをもう一度、最初から覚えなおさなければならなかった。

最初のうち、ランディさんは自分が2年間も昏睡状態だったことを信じようとしなかった。言葉が話せるようになってきても、脳に損傷を負った人に起こりがちな前頭葉性の脱抑制が始まった。周囲の人や物すべてに悪態をつく日々が続いた。

その当時のことを振り返ってランディさんは言う。「私は精神的に異常な状態でした。誰もが自分を嫌っていると感じました。だから、周囲の人全員をののしり続けたのです。母でさえ例外ではありませんでした」

ランディさんは回復の途上にあったが、将来に対する絶望が彼の心を支配するようになっていく。

「医師たちには、もう二度と歩けないだろうと言われました。それを聞いて傷つき、落ち込みました。自殺することさえ考えるようになりました」とランディさんは振り返る。

一方、そのころ、アランさんも精神的にどん底の状態に落ち込んでしまっていた。ランディさんに献身的に付き添ったこと、そしてランディさんのビジネスを引き継いだことで多忙を極めた結果、妻との関係が壊れ、離婚に追い込まれた。それどころか、いつも相談の相手をしてきた両親さえもが離婚手続きを進めていた。

同時に、家族や友人たちがアランさんの行動にあれこれ口を挟み、批判的な言葉を浴びせるようになってきた。

アランさんは、その当時をこう振り返る。「私は身を粉にして多忙な日々を送っているうち、ひねくれた気持ちに陥っていました。もう何もできないと思いました。物理的に、それ以上何もできない状態でした。自殺を考えるようになりました」

この兄弟が苦しかった当時のことを今こうして冷静に振り返ることができているのは、その苦難を見事に乗り越えることができたからにほかならない。

ランディさんは、その後、医師たちの予想を裏切る回復を遂げた。もう普通に話すことができるし、自力で歩くことだってできる。それどころか、車も運転できるようになった。

ニューヨーク・ロングアイランドの病院で、過去30年にわたり2000人以上の昏睡患者を診てきたミハイ・ディマンセスキュー医師は本件を伝え聞いて、2年も昏睡が続いた患者がここまで回復するのは、非常に珍しい、とコメントしている。

ランディさんは、自分を襲撃した人物をいつか必ず見つけ出してやるつもりである。ただし、報復のためではない。礼を言うためだという。

「その人物に会うことがあったら、こう言ってやるつもりです。俺の人生を救ってありがとう、と。

「昏睡に落ちて、生死の境をさまよったわけですが、以前の私は間違った人生を生きていたと思うのです。だから、本当に救われたと感じています。最後にそのことがわかったのです」

一方、アランさんは今も変わらず「ミスター・エンサイクロペディア」であり、科学を信ずる現実主義者である。それゆえ、何らかの信仰を持つことはなかったし、信仰を持たないのは今も同じである。だが、弟を昏睡から蘇らせるために奔走した日々は、アランさんの心にも変化をもたらした。

「こんな経験をしたことで、見えない力を感じるようになりました。われわれを見守る力のようなもの、われわれを導く手のようなものが存在すると感じるようになったのです。それを運命と呼ぶこともできるかもしれませんが、人生には意味があるのだとわかりました」

アランさんは、弟にまだ回復の兆しがないときに、鮮明な声を聞いたことを決して忘れない。弟は必ず回復すると告げる声だった。それを神の声と呼ぶ人もいれば、愛の声と呼ぶ人もいるだろう。それが何であろうと、アランさんはその声を信じる。そして、人生の歩みを楽しむ。

お互いに反目し合い、正反対な人生を歩んでいたかに見えた二人だったが、今では互いを尊重しあう兄弟になることができた。衣料品店の経営を巡っては、議論になることもある。だが、議論が激昂することはなく、じきに二人は共に戦ったころの思い出話に花を咲かせ始める。

弟ランディさんは、以前のように自己中心的でもなければ、貪欲でもない。兄アランさんも以前ほど杓子定規に物事を判断したりしない。もう正反対な二人ではなくなく、分かちがたい絆で結ばれた兄と弟である。

いざ弟が災難に見舞われると、それまで弟と犬猿の仲だったはずの兄が人生を投げ出してまで弟を救おうとしたのだ。男兄弟ならではのアンビバレントな関係というやつかもしれないが、男兄弟のいない筆者にはよくわからない。




■ Source: Medical miracle: Two-year coma survivor defies odds

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1. 芥川龍之介の『偸盗』  [ Diary ]   2008年01月10日 12:27
『なんでも評点』内記事 〜それまで互いにひどく嫌い合っていた弟を回復の見込みのない昏睡から2年がかりの献身で蘇らせた兄〜 芥川龍之介??.
2. 080111  [ サイド9 ]   2008年01月11日 03:37
◆それまで互いにひどく嫌い合っていた弟を回復の見込みのない昏睡から2年がかりの献身で蘇らせた兄 兄貴すげー!!! 弟のいる身として尊敬します。
3. 超暇つぶしブログ  [ 超暇つぶしブログ ]   2008年01月11日 07:43
 
それまで互いにひどく嫌い合っていた弟を回復の見込みのない昏睡から2年がかりの献身で蘇らせた兄 バーで汚い言葉を言ったら法律違反!? ロシアの男、愛犬食べようとした友人をおので

この記事へのコメント

1. Posted by jacklegdoc   2008年01月10日 11:30
私には妹が2人いますが、子供の頃に1人亡くしています。普段は妹がどこで何をしていようが無関心ですが、生死に関わる事となると自分を犠牲にしてでも救おうとする感情はわかります。
それにしてもアランさんは専門知識もなしに医学系の専門誌を読んで医師と論議するまでなるとは、相当な執念だったんでしょうね。
2. Posted by N-B   2008年01月10日 14:36
わたしのトコもこういう水と油な兄弟です。
それにつけても思うのは、「庇護者」なり「恩人」になるっていうのは、骨肉の争いにおける考え得る限りの勝利ですね。
アランさんはそういうオソロシイ人なのかひたすらに善意の人なのか、
凡人にはない熱意と行動力の人であるだけにどちらも考え得て、なんだか怖いものがあります。
webmaster様はそういうような「ウラ」は感じませんか。
3. Posted by 、   2008年01月10日 21:16
兄貴は知的闘争心が強かったんだろうな
難題にやたらと噛み付く頑固タイプと思われ
4. Posted by k1taj   2008年01月12日 15:21
アランさんすげー...
感動した!
5. Posted by inu   2008年01月12日 23:13
4 >その当時のことを振り返ってアランさんは言う。「私は精神的に異常な状態でした。〜

ここはアランさんではなく、ランディさんでは
6. Posted by miccckey   2008年01月13日 00:25
>inuさん

校正ありがとうございます。修正しておきました。
7. Posted by きりん   2008年01月19日 22:55
5 商売柄、色々な人々を見るにつけ「こりゃ世界も御終いだなあ」なんて思うこと多々な日々を送っていて、こういう記事を見るとほっとします。親兄弟親類縁者だって医者から匙を投げられたら普通はお悔やみの一言と葬式はいつにしようなんて話が出てくるんでしょうけど、この人は諦めなかったんですから。
欲得ずくで弟を介護したんだなんて思う人もあるんでしょうけど、結果を急ぐ今の人が2年もそんなこと続けた上に自分の家庭まで壊しちゃうんでしょうかねえ?お兄さんが自分の頑固さを貫いたのなら、それもすばらしいことだし、知的探究心が旺盛ならそれも素晴らしいと思いました。
反目しあっていても、やはりそこは血を分けた兄弟だね、いい話だね、って私は思いました。
8. Posted by (`・ω・´)   2008年02月01日 09:44
り、離婚は回避できたのかね!?
これを書かずして簡単に美談にしたててはいかん。周りの人々はこの兄弟のために相当苦労したはずだ。突然仕事を辞められ、突然家庭を顧りみなくなり…。
助かって幸せっす!で二人はハッピーかもしれんが、最もつらいのは嫁さんだ。
9. Posted by sera   2008年04月24日 21:01
5 いつも楽しく読ませてもらってます。本日(4/24)放送の「奇跡体験!アンビリーバボー」にこのネタが使われていました。一応ちゃんと取材はしてるみたいですけどね。
http://www.fujitv.co.jp/unb/index2.html

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